第48回 現代建築セミナー

講師

ピーター・ズントー

テーマ The Beauty of the Real
開催日・会場 2001年7月24日(大阪)
2001年7月25日(東京)

はじめに

建築家は自分が建築について解説したり、こう見てほしいといったことはいわないほうがいい。完成すれば建築自らが語るからです。建築はその土地に根ざし、どのような生活がそこで展開するかによって知性と感性をともなって設計されるべきです。建築はそれ以下でもそれ以上でもありません。そこで建築家にできることは、自身の作品について語るときは、自分も1人の観客として客観的に作品を見ながら語ることだと思います。今日は8つの完成作品と4つの目下進行中のプロジェクトについてお話したいと思います。

しばらく前に自宅で休んでいる時に偶然、ピアノの前身のハンマークラヴィーアの名手アンドレアス・シュタイヤーのインタビューを聞きました。彼は「シューベルトが最高、なぜならシューベルトの室内楽には描写はなく親密な関係があるのみ」と語っていましたが、それは私の建築観とも一致するからです。そのもの自体の語りがあれば作者は不在でいいのです。建築は建築家の自我を通して語られるべきではありません。いかなる建築も特定の社会、場所、用途のために建てられます。私が設計を続けているのは、以上の単純な事実から派生する問題に可能な限り正確な答えを出すことなのです。

ハルデンシュタインのアトリエ・ズントー

建築をデザインすることは神秘です。私は場所、光、素材にまつわる事柄にこだわりがあります。アトリエはスイスの小さな村の中央に位置し、周辺に多く見られる農家に倣って建っています。完成して友人から「場所そのものになっている。最高の作品だね」と誉められました。この建物はここに建っていることを喜んでいると思います。農家に倣い木を多く使って村の風景に溶け込んでいます。ただ住まいでなく設計事務所のため、村人からは「奇妙な箱」と呼ばれています。

クール郊外のローマ時代遺跡シェルター

イタリアでは日常茶飯事のローマ時代の遺跡発掘は、スイスではたいへん貴重なため、連邦政府の手でつくられた保護シェルターです。雨は除け、風は通し、循環をよくすることは農家の干草小屋と同じです。街のグリッドと関係なく、遺跡の屋敷跡を忠実になぞる形に建っています。ルーバー状の外壁から光や風や音は入るが、外は見えません。また外からも日中は内部はほとんど見えませんが、夜間は村人のだれでもスウィッチを入れてライトをつけることができ、3分間だけ外から内部が見えるようになります。

ハノーバー万博オランダ館での試み 2000

わずか6家族、30~40人のカトリック信者が住む小さな村に建つ教会です。山間のこのような環境のなかにあるのは、木造の丸太小屋のような建物がほとんどです。しかし教会だけはどこでも共通のスタイルの白く塗られた建物として存在しています。そもそもが異質なものとしての存在に意味があったわけです。そこで私は木で教会をつくりたいと提案しました。村民は石造で白く塗った教会をイメージしましたが、私は「皆さんは木でつくる力がある。神もそのほうがお好きのはず」と説得しました。私自身もカトリックの家に生まれましたが、あるときヨハネ23世というローマ法王が説く「神でなく皆さんこそ教会そのもの」という言葉を聞いて教会から離れました。今回の設計では、老神父が「教会は老人のためにでなく、これからを担う若い人たちのためにあるべき」といって私の案を応援してくれました。

斜面に建っているため、地下に地上と同様の空間があり、内部では楽器のように共鳴します。厳格でなくソフトな、母なる教会をイメージしています。毎年降雪期のために75歳近い老人が編んでくれる雪囲いの垣根が教会を取り囲んでいますが、これと教会は同価値だと私は考えています。

クールのマサンス老人ホーム

少しの介護があれば自活できる高齢者用の21戸のカップルあるいはシングルのための住戸と管理施設で構成しています。朝日の昇る東側には幅の広いゆったりとした廊下が走り、入口とキッチン、水まわりを配置、夕日の見える西側には居室とベランダが面しています。老人は隙間風を嫌うので開口部のガラスははめ殺しです。高齢者は一日中外を眺めているのが好きなので、キッチンからも廊下越しに中庭が見えます。コンクリートとカラマツ材とトゥファと呼ぶ石材で、構造は石の柱は柱という目に見える通りに構成した直截な建物です。石は高価、木はあたたかいという印象を与えるため、老人が喜びます。室内は基本的には木です。高齢者はゆっくり静かに歩くので、床も木でやさしく足音が響くようにしました。家具は住み手が持ち込みます。ここに入居したいと長いウェイティング・リストができているそうです。私にとっては建築雑誌で誉められるよりうれしいことです。

ヴェルサムのグガルン・ハウス

もともとは農家の一族が代々住んでいた建物ですが、もう住まなくなっていたものを、なんとか古い建物のよさを残して住み続けたいと考える相続者が私のところに改築の相談にきました。古いものに新たな命を吹き込み、これから住む人たちの生活を守るということで、それに意義を感じて設計を引き受けました。単に改築するのでなく、古いもののもつ威厳に敬意を表してそのまま活用しています。床や壁のゆがみもそのままに補修して生かしています。新旧の併置でなく、古いものに新しいものが寄り添うように編み込むという手法をとりました。この地域の農家のほとんどが校倉風の建物のため、北斜面の南側に増築した新しい部分は、セーターにポケットを編み込むように、北側の重厚な校倉の既存部分に軽快な後棟として編み込んでいます。増築部分は内部に入るとサイズも含めてすべてが現代的です。しかし、新旧は内部でも融合し合っています。これから20年もすれば今は目立つ新旧の差もほとんど見分けられなくなると思います。この建物のためだけに、ドアの把手もデザインしました。

ヴァルスの温泉施設

ヴァルスはスイスアルプスからのヴァルダーライン川の谷間にある温泉湯治場です。この辺からイタリアにかけては石が重要な建材でしたから、地元原産の石だけを使うことにしました。石と湯が主役です。また水と組み合わせて、どんな音がするか、反響があるかなども調べました。なんの変哲もないヴァルス地方の片麻岩ですが、これを全面的に信じることから始めました。石の壁は単なる仕上げでなく構造壁です。光のためのデザインを特別にするのでなく、きちんと設計すれば光は必ずうまくいくものです。

これを設計している頃に初めてトルコや各地の同様の施設を見学して、いくつかヒントを得ました。自分が考えたものだと思っていたものの原型がそこにあったりしました。特に更衣室・脱衣場のデザインでそのヒントがトルコにありました。一列に並んでぶつかりあいながらの脱衣でなく、その行為を一連の儀式ととらえ、脱衣場の仕上げ材にはマホガニーや皮革を使いました。脱ぐ前は一市民がここで賓客に一変します。水浴に特に決まった道順はありません。これも私たちが主張して勝ち取ったものです。好きにさまよえるような配置になっています。また、館内には時計やサインも一切ありません。山側から光のほうに向かっていくと、自然に水浴場を辿れるようになっています。

ブレゲンツ美術館

オーストリアのスイス国境の街のコンスタンツ(ボーデン)湖畔に建つ美術館で、附属のカフェやショップは別棟とし、ここは純粋に展示施設のみとしています。私は美術館は商業施設とは別にすべきと考えています。美術館は湖畔にあっても眺望が得られる窓はありません。美術館は適切な光の入る広がり(airy space)が最も重要です。エレガントで軽快な究極の光の箱の積み重ねをイメージしました。全面フロストガラスの箱をどんな構造体で支持するか1年余り工夫を重ね、3枚のRCの壁を床スラブを支える構造体として外周のガラス壁とは独立して平面上の3ヵ所に立てることで解決しました。展示室は均一の光が入ることを目指しますが、完全に均一な光のみの空間が想像できるか、多少はより明るいところや、少し暗い部分がある均一さのほうが、一日の太陽の位置の変化などを自然に受け入れられ、自然な影ができていいのではないかとやりとりし、自然光をいじめないという考え方で決まりました。展示室の明るさは外の天候や時間で変化します。ここまでやるのは勇気が必要でしたが、かなり満足できるものになりました。現時点ではアーティストからの苦情もないし、展覧会希望が数多くあるそうで、、何よりの評価と受け取っています。抽象的な白いだけの箱でなく、入る光も壁もそのものの存在感のあることが重要です。シンプルな組立て、スマートな流れ、それらを隠してもいない、というのがこの作品の特徴で、ハイテクとは異なります。ハイテクに見えたら成功ではないのです。別棟のカフェやミュージアムショップの入る建物がオープンし、美術館との間に広場ができたことで、この界隈は毎晩カフェを中心に独特の雰囲気をもった人々がたむろする場所に変身しました。

ハノーバー万博スイス館

コンペで選ばれたものです。仮設建築であるため木でつくることが条件でした。そこで私たちは材木置場、つまり材木を積み上げ、乾燥させ、万博終了後はそれを材木として売ればいいと考えました。布を縦横に編み込むように材木を積み上げた、一種の迷路をイメージしました。さらにメディアゲームには参加しないということを確認し合いました。パビリオン内ではメディアは一切使わずライブなパフォーマンスのみにすることを政府に同意してもらいました。木とスチール、アスファルト、光と影、コーヒー・紅茶、そして人と音楽がすべてのパビリオンです。スイスのPRも一切なし。人々にやすらぎの空間を与えるのみ、最高の飲み物とベンチを提供します。この館のコーヒーはイタリア人も絶賛するほどでした。パビリオンには49ヵ所の出入口があります。長い行列の末に館内を誘導に従って歩くというのが嫌で、どこからでも入れて、森の散策のように自分で自分の道を見つけて歩けるようにしました。木は収縮します。万博期間中に約25~30cm縮みました。クギもネジも糊も使わず、基本的には木の自重の圧縮力でもっています。会期中一度も同じパフォーマンスはなく延べ500人のミュージシャンが出演しました。私は建築家としてだけでなく芸術監督も務めました。

ベルリンの展示・資料センター計画

ゲシュタポ本部があった場所で、ここで多くの命が失われました。戦後ドイツ人はその建物を解体し、跡地はそのままになっていましたが、1970年代になってドイツ人を中心に「ここは歴史そのもの。その歴史を忘れてはならない。ここは開発するのでなく、忘れてはならない歴史を知るオープンな場所にするべき」という意見が出てきて、この計画がスタートしています。蓋をしてあった地下部分の発掘が進められ、コンペが催されました。建物といっても特定の類型に分類できない性質のため、象徴性を避けています。ナチスの恐怖、強制収容所を想起させるようなものを入れることは罠にかかることです。各地に建つホロコースト博物館に反対するわけではありませんが、そういうものに私は落ち着きのなさ、居心地の悪さを感じます。ここでは地下の発掘保存部分を見せると同時にさまざまな古文書や手紙なども閲覧できます。建物自体はフェンスで囲みます。延べ30~40kmにもなるプレキャストコンクリートの同じ部材が地面に突き刺さるように立ちます。敷地そのものに意味があるので、全体をそれで包みます。柱状の部材の林立による壁は、途中の起伏を包み込むように連続し、展示、研究、調査などの機能を許容するために7~8種類の断面形があります。居心地のいい空間でなく、室内も外と同じ環境を継続させます。床がきちんとあるわけではありません。建築家として主張しますが、コンセプトとしてこの建物は外部も内部もあくまでもひとつです。実は、政治的な理由でこのプロジェクトはすでに2度中断しました。今また承認されて進めようという意見が出ています。数年後に完成することを期待していてください。

ケルンの聖コロンバ教会博物館計画

ケルンの街は第2次世界大戦で徹底的に破壊されました。ゴシック様式のこの教会も破壊され、その後の発掘で起源は紀元前のローマ時代からあったことが分かりました。戦後、古い聖母マリア像を祀る小さなチャペルが建てられ、多くの人々が立ち寄る場所になっていました。そこでケルンの枢機卿が、ここに中世、現代にいたるまでのコレクションを、現代美術まで含めて展示する博物館・美術館を建てようと提案しました。戦後、発掘現場はそのままにし、レンガで一部修復されましたが、それが私のデザインのテーマとなりました。つまり修復しかけの部分に継ぎ足していく、古いものから新しいものが融合するように、そこには小さな穴をたくさん開け、セーターを引っ張って網目が開いて光が差し込むようにつくろうと考えました。この土地特有のレンガを使います。デンマークに職人がいるのです。ここはすべてローマ時代の寸法で建てられているため、私たちもそれに則って、れんがの積層構造で建てることにしました。1/10の模型をいろいろアトリエの庭や地下室につくり、光やさまざまな実験・確認をします。元の寺院、チャペル、それらをなぞるように博物館を配置し、全体を自由に歩ける動線としています。古い形から新しいものを生み出す手法としてボイドスペースを足していき、迂回路もあります。そのシークエンスの終わりの開口部からケルンのカテドラルが見えます。主張しすぎない、上品でソフトで親密な空間を目指しています。ちょうど住宅のような身近な空間にしたいと思います。この作品はコンテクストが明確にあり、たいへん気に入っているので、何時間でもしゃべり続けていられます。

エンガディン地方チュリンのホテル計画

スイスアルプスのなかでも、この地域はあまり観光地化していません。周辺の村では2世代前ぐらいから過疎化が進み、空家になった建物が目立っています。ここにスキーリフトなんかなくても自分で自分の楽しみが見つけられ、静かな山村ですばらしい空気だけがあれば、何もしないで読書したりして過ごせるような人々のための高級ホテル計画を立てました。資金の半分は地方自治体が出し、残り半分は投資家の出現を待っています。客室は普通のホテルより広く、廊下はなく直接エレベータから各客室にアプローチします。各室は広く独立しているので、普段読めなかった本を読むとか、バイオリンの稽古をするとか、何でもできます。最上階にはソラリウムがあり、日光浴や天体観測ができます。この計画でも模型をつくって検討しました。7部屋モデルルームをつくり、実際の眺めをはめ込んでいます。共用空間としてロビー、レストラン、テアトリーノと呼ぶ小劇場もあります。木造でつくります。外装は少しラフな鷲の羽根のような材料を自分たちで考案して使います。2005年完成予定です。

農家のための施設チャペル計画

ドイツのフランス国境近くのなだらかな丘陵と森が続く農村に建つ私設チャペル計画です。その環境のなかにはどのような建築がふさわしいか、いろいろ検討を繰り返し、クライアントの老農夫婦が「これでいこう」と承認してくれたばかりの最新プロジェクトです。外は農夫の一日の作業量が読み取れる荒削りのコンクリート打放しです。各パーツはデコレーションが施されたり、太陽つまり南に向けての壁では光を透過したりします。内部は暗く、雨水が天井から水面に集められ、天井の架構の姿が映ります。高さ12mの中心には電球のフィラメント状のものがつき、光を放ちます。内部の木造架構部分は、農夫が森から木を切るところから自分でつくります。ニッチェには等身大の聖クラウスの現代絵画を掛けます。この像の眼はここを訪れる人をじっと見つめ返します。現代アート、バナキュラーなもの、宗教のギャップの橋渡しの役目を果たすしてくれるといいと思っています。