第56回 現代建築セミナー

講師

ラファエル・モネオ(建築家)

槇 文彦

テーマ 「デザインプロセスについて」
会場 2007年7月10日(東京)
2007年7月12日(大阪)

第1部 ラファエル・モネオ(建築家)講演

はじめに

みなさま、こんばんは。ふたたび、東京にくる機会をくださり、私の最近の作品をみなさまにお伝えする機会をくださったa+uとアイカにお礼申し上げます。はじめに、私の考えを記した原稿を読み上げます。

建築は時代の反映

ア私は、建築とは歴史における、あるときどきの社会の関心を反映したものと考えています。建築はまた、その統合性において、過去を理解する最良のツールでもあります。ギリシャ神殿やゴシック様式の大聖堂、1930年代のマンハッタンの摩天楼などを通して、私たちは西洋文明の発展の軌跡を辿ることができます。たとえばギリシャの明快さや合理性、ゴシックの宗教を通しての人々の精神生活、そしてそれらに取ってかわっての経済の重要性の台頭など、すべて建築が歴史の証人になっています。 ある時代の社会のあり方は、より広い意味の歴史そのものだと思います。したがって20世紀後半から21世紀はじめの現代における建築は、社会の急激な変化や科学や技術の進歩に合わせて、それを必死に反映しようとしている結果といえます。建築は、常にそのときどきの新しさをフルに取り入れます。現代は、コミュニケーションとバイオロジーが最重要課題です。したがって建築もそれを主要なテーマとして、世界中の建築家や大学などが取り組んでいます。学生たちは、熱心に環境問題に取り組みはじめており、地球や宇宙のすべてのことを理解しようとしています。この黙示録的な姿勢は歴史上、何度も繰り返されてきたことですが、科学技術の進歩によって、いままでにない新しい時代に突入しているといえます。
新しい時代、つまりコンピュータの普及、進展にともない、学生たちのプレゼンテーション・テクニックは格段に進歩し、コンピュータは1990年代以来、建築設計になくてはならないものになりました。より広い幾何学の応用により、新しい空間の創出が可能になりました。建築家は全能であるという錯覚を起こしかねないほど、コンピュータはその世界を広げてくれました。しかし建築は建設行為と切り離せません。プライマリーな形態をコンピュータから導き出したそのままの建築をデザインする人も出現しています。私はこういう作品を「バイオロジカル」と名づけています。
建設技術の進んだ今日の社会では、建築家の新しい試みに対して、あらゆることができるようになっています。技術は建築家の新しいチャレンジにさまざまに応えてくれます。単純にコンセプトを形にし、その意味を社会に問うていこうとする建築家や、建設業界と一体となって新しい素材を開発しようとする建築家もいます。新たな素材は新たな建築言語の発見でもあります。おまけに現代はサステイナビリティという衣も着せなくてはなりません。しかし、長い歴史や伝統のある都市への、こうした新しい建築の挿入は、なかなか修復できない断絶をもつくり出します。

継承こそが建築のターゲット

以上のことから、現代は20世紀の建築の考え方とは異なり、そこからの脱却を迫られています。今日の複層化した社会にあって、建築は単に空間の概念だけでなく、また技術的合理性だけでもなく、新しい言語だけでも、敷地の情報だけでもありません。それらすべてに、さらに新しい要素を加えた考え方が求められています。新しい建築は、過去をも無視するだけの力をもった現代の黙示録的な観念にしたがってのサバイバルという、現代の潮流をしっかりと読みとることを戦略とするべきなのです。
しかし、社会は常に過去に倣ってつくってほしいと要求します。都市構造における継承は、建築家の非常に高度な能力をもとにした解決を必要とします。それは建築だけでなく、都市やランドスケープまでも含めて考えていくことが求められるのです。私が今日ここでお見せする作品は、都市における必要な継承を、いま申し上げたような広い視点で求め、考え続けた結果です。その時代時代のスピリッツに従って考えることは、過去の無視でも過去の拒絶でもありません。それはばかげた考えです。
レム・コールハースはかつて「都市は雲のようなもの」と表現しました。都市の形態は雲のように常に変化し続けていると。たったいまこの瞬間の形態は、昨日から、過去からきています。形あるものの意味が、そのメカニズム探求への門戸を開きます。建築が都市の形態に責任があるとすれば、やはり継承、継続について考えることが重要です。それこそがつくられた世界を理解する正しい考え方だと思います。そこには過去とまだ見ぬ未来の暗黙の了解があります。継承は単なる保守的な考えとは異なり、都市を創出していくための決定的なツールとなるものです。
建築をデザインをするにあたって、建築家がまずやるべきことは、都市のなかでの、その建築の建つ場所の意味を正確に知ること、そして建築そのものの存在の意味を知ることです。継承の真の意味を理解することなのです。
いままで述べてきた私の考えを、作品を通して説明していきます。

主な作品から

私の1980年以降の作品を簡単に紹介します。

  • 「メリダの国立古代ローマ博物館」です。1980年にプロジェクトがはじまり1986年に完成しています。古代ローマ都市の遺跡に面して建ち、敷地との対話が大きなテーマの建築です。
  • 「マドリードのアトーチャ駅」は1984年にコンペで入選し、1992年までかかっています。従来の駅舎は温室風の待合室とし、その奥に列柱の並ぶ新しいプラットホームをつくりました。
  • 「バルセロナのオーディトリアム」は1988年から1999年までかかりました。大小ふたつのコンサートホールを含む諸施設をひとつの大きな箱型の建物の内部に包み込んでいます。
  • 「マヨルカ島のピラール&ジョアン・ミロ財団」は1992年から1996年です。ゆるやかな斜面の上にミロの自邸・アトリエと敷地を共有して建っており、屋上と建物のまわりに水を配しています。
  • 「サン・セバスチャンのクルサールオーディトリアム・会議センター」が1990年のコンペ入選から10年ほどかけて1999年に完成しました。ウルメア川の河口に位置し、その川の景観を損なわないようにヴォリュームを設定しました。

マドリードのプラド美術館増築

俯瞰の全景写真で、まず全体を説明します。今回の増築は主に、既存の本館の南北の軸線に対して、東側に建った増築棟の新館と本館を結ぶ東西の軸線を挿入し、周辺を含めて整備することでした。
本館は18世紀末に建築家のヴィラヌエバによって建てられたものです。当初は自然科学博物館的なもので、明るいギャラリーの南北に四角い棟がそれぞれつくという配置で、中央には、その両者が寄って集まるミーティングプレースのウイングがありました。南側は植物園から続く植物学関連の棟で、北側が科学関連の棟でした。建物は未完のまま、独立戦争下には武器庫として使われたりしました。35年後にここを王室コレクションの美術館にすることになって大改装が施されました。表のファサードに見事な装飾フリーズがついたのもこの時期です。しかし、絵画はロトンダの内壁も含めた壁という壁に飾られていました。その後、他の有名美術館の例に漏れずプラドもすぐに規模が不足し、20世紀になって何度も増改築が繰り返されました。まず1918年にギャラリーの中庭を取り囲むように増築され、ゴヤはここ、ベラスケスはここ、ギャラリーではすべてのスペイン絵画の歴史が見られるように、という展示に変えられました。また建築のシンメトリーの強調も意識されるようになりました。その後も1950年代、1960年代と増改築が繰り返され、その度ごとに、常に新旧の動線整理が大きな課題になっていました。
今回の増築計画では、本館の東側に1723年に焼失した元王宮の跡地が修道院になっていましたが、そこを美術館とし、両者をどのようにつなぐかがプロジェクトのテーマでした。また既存の環境に新しいものを挿入することに意味があるとすれば、それは共生ではないでしょうか。私は、混入させるというより共生することが大事だと考えました。それぞれの建築がアイデンティティをもちつつ共生することです。
コンペ時の模型で、私の考えがよく分かります。南北の軸線に対して、正面扉からの動線を新たに整備し、カフェテリアやトイレといった施設を裏庭側に移動し、本館の動線をすっきりとさせます。そして視線の通ったところで、修道院のクロイスター部分を改築した新館にいたる動線をつくっていきます。平面図でも、新しい動線がよくわかります。売店やカフェテリアなどがすべて半地下のつなぎの空間に納まり、その奥に新館の企画展示室があり、上階には美術館の事務部門などが入居します。地下にはオーデイトリアムや広大な収蔵スペースが確保できました。地上部は元の修道院のクロイスターの光の入り方を取り入れたトップライトを設けてランタン状にしています。古い建物は一度解体し、残す部分はもう一度元通りに再現しました。増築についてはいろいろな論争がありましたが、結局、最終的には、デザイン的な意味も含め、プラド美術館の展示スペースが50%も増えるという利点などを考慮して、市民のみなさんも理解をしてくれました。
増築が外観では本館そのものには影響せず、それぞれが独自にアイデンティティをもち、さらに内部空間ではプラド美術館のなかにいると感じられるように、意識的にデザインしています。屋上テラスのランドスケープは南の植物園へとつながり、ヴィラヌエバが完結できなかった本館の中央に焦点を合わせていきます。ランタン上のスペースの上部では、もとのクロイスター部分を保存再現しており、トップライトからの光でシュールな美しさを見せています。以上がプラド美術館増築で、2007年4月に完成オープンしました。

ムルシア市庁舎

さまざまな知識を取り込めば取り込むほど、建築家はその才能を発揮できます。だから「なぜそのようなデザインをしたのか」と問われれば「建築家の表現の自由」を少しは主張してもいいと思います。そうした例として、この作品を説明します。スペイン南東部の街ムルシアの大聖堂に面して建っています。目の前はカーディナル・ベルーガ広場で、片方にも司教館が建っているという古い重要なエリアに位置しています。この建物の奥に市庁舎本館があり、今回の建物は別館として会議施設やカフェテリアを収容しています。
大聖堂はゴシック、ルネッサンス、さらにファサードはバロックという特徴のある建物です。かつて広場は、どこでも同じでしたが、駐車場と化していました。それを人々のための広場に戻すためのデザインも依頼されました。そこで私はまわりの建物のもつパワーに頼り、木を植えるのでなくローマ時代のような広場にしました。
市庁舎については、当時、ガラスのファサードの計画案が検討されていました。そこで私は、この広場にガラスのファサードはないと主張しました。慎重に検討した結果、既存のパワフルな街のファサードや教会に対してつくるとすれば、人々が容易に読み取れるようなものではないかと考えました。一度に教会と市庁舎が目に入ることはありません。振り向かないと見えないのです。市庁舎は人々を代表するものであり、現代の抽象的な公共性を表現したいと考えました。市長が立つバルコニーはまわりの建物と同じ高さになっています。入口は正面にとらず、側面に配置することで、広場の特性をそのまま保持しています。また1階まわりにやわらかい曲線を配することで、広場の舗装が街の奥のほうまで連続するようにしました。室内からも広場やモニュメンタルな建築が見えます。したがって、インテリアの設計もまた非常に神経を使う作業の連続でした。

まだまだお話したいことがありますが、時間が過ぎました。これで私の話を終わりにします。(拍手)

第2部 槇文彦(建築家)講演

はじめに

今日は、日本、アメリカ、東南アジア、ヨーロッパの4つのプロジェクトのお話をしたいと思います。それを通して、デザイン・アプローチをどのようにしていったか、特に私がいちばん関心をもっております、これからできていくもの、あるいはできたものに人間がどのようにかかわりをもっていくか、それによってひとつの風景、あるいは情景が生まれてくる、ということをひとつひとつたしかめ、それを次の設計の糧にしていきたい、と考えております。

島根県古代出雲歴史博物館 2007

最初は、出雲大社のすぐ隣に完成した県立の古代出雲歴史博物館です。この地域は歴史的に大陸との交流が非常に盛んな場所で、多くの古代遺跡があり、発掘が近年進み、銅剣や銅鐸などが数多く出土しており、それらを保存・展示するための施設です。
広い敷地に、西側にある出雲大社の参道と少しずれた軸線で計画されました。北側に山があり、この山が古代からの継承を示しています。モネオさんの「ムルシア市庁舎」や「プラド美術館」のお仕事に見られるように、ヨーロッパでは古い歴史的なものがそのままの姿で現代も存在しており、それに対して現代の建築をどのように対話させていくかということがテーマになっています。ところが日本の場合は不幸にして、古いものが街の中核を形成していません。日本では山や丘や海といった自然の風景が歴史を伝えていく要素となっている場合が多いと思います。出雲の場合もそうでした。北側、背後の山は古代から人々が見ていた山と同じはずです。そこに新たに建築をつくるときに、山と建築がどのように調和するか、というのを、ひとつのテーマにしました。
300mほどの敷地の奥行きをうまく生かして演出したいと考え、前後にランドスケープした庭を配置し、その中間にガラスのパブリックスペースを挿入して、透明感がありながら、ふたつの異なるスペースをつくりたいと考えました。前庭をアプローチすると、ガラスのエントランス棟越しに山々を見ることができます。もうひとつ、この地域は日本ではじめて鉄器が生まれたところでもあるので、それを象徴して、展示室にはコールテン鋼を壁に採用しました。屋根も外壁と同じ色をしたステンレスです。手前の白い塊が管理棟です。このように、はっきりとした材料を使い、自然の風景とコントラストをつくりながら、存在を示していくことを目指しました。ガラス張りのエントランス棟は3層で、3階まで上がると出雲大社の千木が見えます。ガラスの箱をできるだけ透明にするために、端部にX柱を立てて剛性を高めています。
ランドスケープはオンサイト計画設計事務所の三谷徹さんと組んでいます。奥の庭は休憩や古代の実験ができる場所になっており、遠足の児童たちがよく集まっています。
展示室では、かつて平安時代にこうであっただろうと考えられている、高さ48mの出雲大社の模型が展示されています。実際に丸太を鉄のベルトで3本束ねた柱が近年出土しており、中央ロビーに展示されています。
モダニズムの言語を使いながら、周辺の山並みとどのように調和し、かつ人々がどのように感じ、リアクトしてくれるかということをテーマとしてデザインしています。

セントルイスのワシントン大学サム・フォックス視覚芸術学部 2006

9年間かかった仕事ですが、昨年完成しました。私は1950年代後半から、この大学で教鞭をとっており、そのときにスタインバーグホールという建物の設計を依頼されて1960年に完成させています。キャンパス全体は19世紀末にコープ・アンド・スチュワードソンの構想のもとに建てられたネオ・ゴシックの建物群で構成されています。そのキャンパスの東にあるのが建築や美術学科を収容する視覚芸術学部です。既存の施設群が狭くなったので、キャンパス東端のパーキングだった敷地に新しい校舎、美術館やライブラリーをつくろうという計画でした。
現存する東西軸のブルッキング・モールに対して、新しい部分は、北側に残るパーキングエリアも将来は施設群になって、パブリックな南北軸が生まれることを予測して計画しました。新しい建物の配置は、既存の校舎群の大きさや中庭の配置に合わせたスケールとしています。ミュージアムは学生だけでなく一般の人も利用するものですから、モール近くに配置しました。オーディトリアムやロビー、ホワイエもあり、高低差を利用して、少し見下ろす形の中庭やテラスもつくりました。視覚芸術学部は代々ライムストーンの外装なので、新しい建物もライムストーンを採用し、高さも合わせました。つまり大学のコンテキストを尊重して継承しています。
アメリカの建設技術力は日本と違って、それほど高くありません。ライムストーンを積むことは比較的上手なのですが、たとえばカーテンウォールと組み合わせるというように、いくつかの職種が一緒に仕事をするという作業がとても下手なのです。私たちは、日本と同じようにつくりたいと考え、最初の仕様書のなかに、フルサイズのモックアップの製作を義務づけ、実際に工事する人たちをトレーニングしながら施工していきました。モネオさんのロサンゼルスのカテドラルでも同じようなご苦労をされていると思いますが、海外での工事は日本ほど簡単ではありません。
ライムストーンは一般的には大きな単位で使われることが多いのですが、表面がまだらにならないように仕上げるために、あえて私は、1人が運べる大きさにこだわりました。750×200の大きさのものを積み上げています。スケールを小さくすることでレンガの建物に近い表情にもなりました。このようにライムストーンを使うことによって開口部のカーテンウォールとの取り合わせも繊細になったと思います。ライムストーンは湿気を吸収するため、足元部分はプレキャストコンクリートにし、色を合わせています。プレキャストはテキサス、ライムストーンはインディアナというように、材料もいろいろなところから集められています。さきほども触れました、それぞれ職種によるユニオンの力が強いため、複数の職種の取り合わせの部分がむずかしいのですが、ここではライムストーンとカーテンウォールの取り合わせが非常にうまくいったと自負しております。モックアップをつくらせ、どうしたらうまく進められるかを、彼ら自身に考えてもらうというプロセスを採用したわけです。インテリアでも、いろいろモックアップを通して検討を繰り返した上でつくりました。
中庭の高低差を活用して、階段やスロープを使って演出していますが、アメリカの学生たちは、すぐそうした場所に反応してくれます。音楽を練習したり、階段に寝転がって読書したり、という光景が見られて本当に嬉しく思いました。日本人は遠慮しがちですが、アメリカ人は建物に対してあまり距離を感じないというか、肉体と建物の間に、ある種の親しみ、アイデンティティをつくろうとします。つまり、私たち建築家が構想した建物や場に対して、ユーザーがどのように反応してくれるかが、いちばん大きな課題ですから、この情景はしあわせでした。

シンガポールのポリテクニック・ウッドランドキャンパス 2007

7月に完成したばかりのシンガポールで5番目のポリテクニックです。20ヘクタールの敷地は、緑は多いのですが、非常に高密度なキャンパスです。シンガポール北部のジョホールに近い位置にあり、国立公園に隣接し、かつてイギリスの監獄があったところで、周辺はかなり広大なグリーンに囲まれています。地下鉄南北線ウッドランド駅が南にあり、キャンパス南に管理棟があり、そこから学生たちはキャンパスに通います。最終的には1万2千人の学生を収容する大学です。
ここは教育システムがユニークで、あまり教室を必要としない。その代わり、建築のアトリエと同じように、朝、教師がきて課題を出すと、学生たちは自分の好きな場所でスタディをし、夕方また集まってディスカッションをするというスタイルです。そこで、240×160mのアゴラと称する、大きな長楕円の芝生のテラス状の場をつくり、中央に図書室、周囲に教授の研究室群、アゴラの下には池に面するカフェテリアなど、さまざまな機能をもつ固まりを配置し、それらが全体としてひとつの世界をつくる、という構成です。大きな中庭が2ヶ所、小さな中庭が6ヶ所あります。長軸方向に約9mの高低差があり、さまざまな空間の演出が可能でした。長軸に3本の背骨が通り、短軸方向にいくつか枝が走っているという構成です。屋上テラスもありますが、雨が降るので、濡れないで行き来できる通路もいくつも走っています。
私は、都市とは、集団にとってなにか楽しいところであると同時に、ひとりでいてもしあわせな場所がなければいけないと思っています。ここでは、通りを挟む建物の壁面はすべてガラスなので、通りや中庭を越えて学生たちの様子がお互いに見えてきます。つまり集団でもひとりでも過ごせる楽しい場所があります。中央の図書館の真ん中のホールは天井の高い空間に、学生たちがそれぞれ好きなように場所を確保してスタディしています。グループでディスカッションできるスペースもあります。
建築的には、暑い国ですから冷房はしています。幸い地震のない地域なので、高い天井高ですが、細い真っ白い柱が林立し、天井のスチールメッシュがどこまでも続いています。床仕上げはそれぞれ変えています。240mというとかなり広いスペースですが、私たちとしては、できる限り飽きのこない、学生が学び、交流できる場所をつくることを目指しました。
実は、アゴラの構想には、元になるものが私のなかにありました。訪れたことはないのですが、オランダのある街のコミュニティセンターのアゴラという写真を見て、非常に感銘を受けたのを覚えております。中央にスポーツコートがあり、手前にカフェテリア、向こう側にコミュニティセンターがあり、さまざまな活動が重層して存在しているものでした。そのようなスペースをいつかつくりたいと考えておりましたが、シンガポールで実現できたわけです。このキャンパスには、他にも体育施設や文化施設、寮など、さまざまな施設がありますが、今日は時間がありませんので、アゴラを中心に、私たちがどのように風景を構想し、どのような情景が生まれたかをお話しました。

バーゼルのノバルティスのオフィスWSJ-174 2009

最後のプロジェクトで、まだ着工したばかりで完成しておりませんが、スイス・バーゼルの製薬会社ノバルティスのオフィスビル計画です。彼らは新しいキャンパスと称していますが、全体計画はヴィットリオ・ランプニャーニというイタリア人でチューリッヒ工科大学教授がつくったものです。フランク・ゲーリー、レンゾ・ピアノ、モネオさんもやっておられますね。日本からも谷口吉生、安藤忠雄など、世界中の建築家を招聘して整備を進めています。
私たちが与えられた条件は60×18mという矩形の敷地で、外形や高さはマスタープランで決められており、ある規定を踏襲しなければいけないというものでした。キャンパスの真ん中にあり、将来的には前面に広場が整備されるという場所です。
そこで私たちは、まず60×18mのなかでどんなものが可能かを探るために、さまざまな模型をつくってスタディをしました。また、マルチスペース・コンセプトを組み入れるようにという項目がブリーフに書かれていましたので、つまりバラエティのある空間をつくり出してほしいという要望でしたが、バラエティの解釈は私たちなりにできるわけですから、ここにどんなセクションが入ってきても、フレキシブルに使えること、エレベータなど使わずに、館内を行き来でき、あるいはどこででも区切れるようなシステムを考えようということになりました。したがって、ひとつながりの連続性のあるスペースを考えました。普通に単純に重層させるのでなく、あるつながりで考えますと、端部に2層の吹き抜け空間が生まれます。もうひとつ、ただ長細い空間でなく、できれば点対称、ダイアゴナルな空間をつくりたいと考えました。少なくとも天井はダイアゴナルを表現することにしました。そこででてきた模型が、外側にワークステーションがあり、端部の2層吹き抜けのある部分に必ず外部空間的な休憩テラスを確保すること、中央には音を遮断して数人で議論できる場所をつくる、というものでした。決められた四角い箱のなかでも、さまざまなスペースが生み出せました。さらにダイアゴナルということで、点対称の2つの隅にコアを設けています。そうしたスタディの結果、生まれてきたエレベーションは、比較的平面計画の要素がそのまま表現されてきます。インテリアでは、天井でダイアゴナルな線を強調しています。日本のオフィスに比べると広々していますが、ワークステーションが窓側にあり、中央にミーティングスペースがあります。端部には版外部の休憩スペースがあり、2層葺きぬけのスペースには、小さなきっ地ネットがあって、上下から人の交流が図られます。スイスも温湿度環境に対しての規制がきびしく、開口部は3重のガラスで、外界のエネルギーをカットします。日本と異なり、外光に対してもグレアをたいへん嫌いますので、外付けブラインドがあり、それを保護するためのガラスがもう1枚外側につくために3重になります。腰壁も2重で、内側は白いアルミ・パネルです。この辺ももうモックアップができてきており、現場では地下工事が始まっております。
最初の出雲のプロジェクトが自然の風景から、2番目のワシントン大学の場合は、キャンパスのもっているコンテキストから発想し、3番目のシンガポールのポリテクニックでは、非常にユニークなプログラムへの私たちのリスポンスからアゴラという空間が生まれ、最後のノバルティスではマルチスペース・コンセプトを私たちなりに、変化のある空間として考えることができたということですが、全体を通しての共通因子は、建築は、どこまでいっても人間が使うものであるということです。日本人、アメリカ人、アジア人、西欧人、どんな人間であっても、使う人々が空間に期待する、あるスケール感とか広がりに関しては、それほど違わないと思います。
私は大学の図書館をいろいろな国で数多く設計しましたが、本を読む学生の姿は万国共通です。つまり、たとえば図書館なら図書館という環境に対する、使う人たちの期待があると思うのです。それをどうやって探し出し、それに対して応えていくか、ということが建築の設計をしていくうえでいちばん重要なことだろうと思います。また、それがうまくいったかどうか常に検証していく必要があります。

これで私のプレゼンテーションを終わります。(拍手)

第3部 対談 講師:ラファエル・モネオ(建築家) 槇文彦(建築家) 司会:セン・クウァン(a+u editorial associates)

はじめに

クウァン

みなさん、こんばんは。本日はアイカ現代建築セミナーにようこそ。もっとも影響力のある高名なお二人の建築家、ラファエル・モネオ先生と槇文彦先生にお出でいただきました。お二人の講演をお聞きして、現代の社会を反映した広範な諸問題について、そして建築のデザインプロセスについて明らかにしていただきました。両先生のすばらしいお話を通して、私たちは非常に多くのことを学ぶことができました。
さて、おふたりの対話をどのように進めるかについて、さきほど楽屋で少し話しておりましたが、それぞれのテーマ、槇先生の場合はコレクティブ・フォーム 集合性について一貫して考えてこられました。コレクティブは言い換えればリンケージでしょうか。これがいちばんのキーワードだと思います。モネオ先生の場合はフラグメンテーション 細分化というか、都市と建築の間の過去との関係性においてではないでしょうか。都市や建築においては、リンケージにしてもフラグメンテーションにしても、そこに人間が介在する限り、スケールが共通項ではないかと思います。そこで、今日の議論は、それぞれの作品に関連して、リンケージ、フラグメンテーション、スケールという3つのキーワードでお話いただきたいと思います。

フラグメンテーション

モネオ

フラグメンテーションについていろいろ議論されたのは1990年代後半です。マンフレッド・タフーリが雄弁にピラネージを引用しつつ言及して指摘した内容も含めて、建築はメカニカルに解読できるととらえられてきました。一見するとそれは明らかにそうであるように思えますが、実はそうではないと私は言いたいのです。
建築を考える場合、問題はたったいまの、その瞬間にあるのであって、そのときの潮流の主流にしたがうのでなく、もっと別な考え方も可能であることを理解することです。新たになにかをつくることは、都市や建築を破壊するのでなく、敷地の周辺から、建物をどこに置くべきか、どこから入り、どういう構成であるべきか、都市のなかにどういう位置づけかを突き詰め、さらにどのように分割していくか、内容をどのように規定していくか、ということに至ります。だから、私にとってフラグメンテーションというのは、アカデミックにボザール的に、シンメトリーな構成とか内外をそれにしたがって考えていくというようなことも前提として、新しい、それらを統括するような考え方を見出していくことではないかと思っています。これは、1990年代もいまもそのように考えてやっています。

フラグメンテーションというのは、世界的な現象で、西洋、東洋を問わず、現代の都市は細分化・断片化を進めていると思います。では、どうすれば意味のある集合がしていけるのか、ということが問題です。そこでモネオ先生がいわれたのは、特にボザール的な古い規範をもった建築や都市に対するときに、いかにして、そうした古いものと近代の言葉で対話をして、会話を成立させていけるかということです。
私は、都市は一般の人たちでも容易に理解し、評価する特徴、それはあるテリトリーであったり、集合であったりしますが、それをもつべきだと考えます。そうしたことに建築家は責任があり、その手法や言語を見出し、都市のなかに意味のある建築を創出していかなければいけないと思います。モネオ先生はどのようにお考えになられますか。

東京は細分化しても独特

モネオ

建築から都市に見方を発展させていくと、フラグメンテーションはまた別な重要な意味をもってきます。そうあるべきだというのではありませんが、現代は、都市自体が単一的なアイデンティティをもつことがむずかしくなってきています。ルネッサンス期には、あるひとつの規範だけで都市ができていましたが、現代の都市は、あるひとつの視点からの読み取りだけでは十分ではありません。個々の建築についても単一の視点だけであってはいけないと思います。
これだけ細分化されている東京であっても、ばらばらに破壊された都市の典型であるとはいえ、そこに特定の一貫性、整合性を読み取ることができます。もちろん、東京のどんな部分も同じように見られるとは限りませんが、たとえば、もっとも小さいスケールの細い路地であっても、計画された広い街路にいても、そこが東京であるということを感じることができます。大阪駅前と東京駅前は、やはり同じではありません。つまり、細分化であると同時に、それぞれの場において、それぞれの時間につくられたいろいろな断片を、それぞれ独自につなぎ合わせていくなかで、都市の違いを生み出していると思います。

それはほめ言葉として受け取っておきましょう。日本人は日本の都市を美しいと思っていません。人々とつくられた街の双方から、モネオ先生はそのような印象をもたれたのでしょうが、私たちは、まったくの混沌というかカオスのなかに暮らしていると考えています。ただ、そのなかでもほんのちょっとした配慮があるのだと思います。たとえば、小さな路地や区画、通りの植栽といった、ちょっとした配慮が街のある種の醜さを緩和するというか、やわらかく包み込んでいます。それが東京においては、比較的高密度に見られるので、モネオ先生は、日本の都市をフレンドリーであると感じられたのではないでしょうか。

モネオ

槇先生の論点をそのまま踏襲してお話しますと、東京はたしかにカオティックな街です。しかし、世界各地の都市で考えてみても、ここまで広範囲に進展してしまったカオスはありません。普通はダウンタウンがあって、周辺へのスプロールがあって、そこになんらかの段階がありますが、東京はとにかくアナーキーに広範囲に広がっています。ここまでいくと中心も周縁もなく、粉々に砕けた鏡の破片のなかを歩いているように、どこまでいっても同じように思います。東京はそういう意味で不思議な整合性があって、それがある美しさをもたらしていると感じました。
一方、東京には高層ビルがたくさんあり、それぞれ独立して建っていますが、人々の生活から地面が遠くなっていると思いました。表参道には通りに車が走り、ケヤキ並木もあり、人々が散策し、高さを抑えた建物が並び、路地もあります。一方、計画的に都市化されたところは、地上は車の空間になって、意図的に地面から人々を排除しているところが多く見られました。私は、地面へのアクセスを人々の自由度を表す尺度と考えています。

つまり、モネオ先生は、都市における地表面は人々の活動や親密感の源泉であり、もっとも重要なことであるとおっしゃっているのだと思います。その点については、私も賛成です。しかし、正反対の極端な例がドバイです。自動車と超高層ビルとばらばらにされたコミュニティだけのように見えます。これはドバイに限ったことではなく、世界中の多くの都市に起きている現象でもあります。
マンハッタンを考えてみますと、たしかに大きな建物がたくさんありますが、歩行者のためのストリートの重要性が尊重されており、人々の生活が息づいています。問題はジェーン・ジェイコブスが『アメリカ大都市の死と生』等で説いてきたことですが、大都市においてストリートが人々の生活にどんな生命を吹き込むかということだと思います。

モネオ

なにをすべきか、なにに取り組むべきか、ということをお答えしなければいけないのですが、うまく表現できるかどうか自信がありません。私たちはフィクションとリアルとの間の境目がなんであるかを考える必要があります。たとえば今朝ほど築地を歩きましたが、表参道よりよほどリアルでした。結果は、私はリアルな現実のなかにいるほうが、居心地がいい人間だということを確認しました。リアルとフィクションの境界ははっきりと引けるわけではありません。ニューヨークやマンハッタンがフィクションであるともいえません。ただ、東京のほうがニューヨークより以上にフィクションに引っ張られているように思います。

ぜひ東京に引っ越してきて、住んでみてください。

モネオ

私はただ訪れただけで、リアルな生活のいとなみというところにまでは触れていません。東京も大阪も横浜も、そこにはすべてリアルライフがあるでしょう。しかし、そこで建築として重要なことは、私たちが他者と都市の価値を分かち合うことだと思います。建築家として私は他者と価値を共有したいのです。それ以外のことを求められても、私はやりたくありませんね。

まったくその通りです。私も同感です。

プロジェクト

クウァン

ここでお話を少し具体的なプロジェクトに戻したいと思います。いまのお話に出てきましたドバイやマンハッタンや東京についてのお考えを、プロジェクトそのものに投影して、都市の生活やリアリティといったことに関連して語っていただきたいと思います。たとえばスイスのノバルティスのキャンパスでは、マンハッタンや東京とは都市の様相が異なり、かなり異質な環境に建っていると思います。キャンパスはある意味でマンハッタンのグリッドにも似ていますが、見方を変えれば卓越した建築群が林立しているわけです。そこでの人間の活動といったリアリティをどのように見ておられますか。

私の場合は、ノバルティスの建物がまだ完成していませんので、リアリティのあるお話がまだできません。

モネオ

今日は紹介していませんが、私もノヴァルティスで設計をしました。そこでは、キャンパスのなかに錚々たる建築家が設計した建物が次々と完成しています。大小の街路や通路が整然と計画され、そのなかに大きさ等が規定された建物が建っています。それらがこれからどのように変わっていくかを見届ける必要があります。相当多くの人々が使用していくなかで、同じ状態でそのままいくのかどうか、少し疑問もありです。

私もまったく同感です。建築と建築の間の空間が建築以上に重要であるというのは、私も常々そう考えています。さきほど出てきました表参道についていえば、表参道の道路、歩道、そしてケヤキ並木が環境をひとつに結びつける重要な役割を担っています。ここでは木々がフラグメンテーションを相互に結びつけ、関連づけています。

モネオ

ノバルティスに話を戻すと、ここではマンハッタンを小さくしたスケールでの、ある種の模倣でキャンパスが形成されています。言い換えると、都市的なマトリックスのなかに、なにかが起きていて、これが建築家に対して、それぞれの建物をまるでワンブロック全体の1区画をつくらせようとするかのように思わせますが、決してそうではなく、そうした工夫はなにもできません。
そこで話を東京に戻しますと、近代都市としての東京はわずか50年、60年の歴史しかありません。そのなかでは、アイデンティティの感覚を共有し、それに親密感を感じるということを真剣に求めてはいません。そんな大きなまとまりを東京に求めなくても、十分なものを東京は個々にもっているのだと思います。

クウァン

お話は佳境に入ってきているのですが、残念ながら時間になりました。本日はありがとうございました。(拍手)