第57回 現代建築セミナー

セシル・バルモンド(オーヴ・アラップ・アンド・パートナーズ副会長)講演

はじめに

本日は、非常にたくさんの方々にお出でいただき、本当にうれしく思います。この貴重な機会をつくってくださったアイカ工業、a+uをはじめとする関係者の皆さまに感謝いたします。今日は「New Form in Architecture 建築の新しい形態」というテーマでお話したいと思います。従来の四角、三角、円といった二千年間続いた静的な幾何学からの考え方でなく、新しい動的な幾何学にもとづく考えです。これは実はギリシャのパルテノンにも見られるダイナミックな比例や比率を活用した幾何です。このアルゴリズムにもとづく幾何について、実際のプロジェクトをもとに説明していきたいと思います。

アルゴリズムからグリッドへ

アルゴリズムはあるルールで、そこから形態を引き出せます。さらにグリッドひとつを取り上げてもいろいろその形態は発展します。デザインのやり方の基本は3つあります。まず最初は、もっともクラシックな二千年間なじんできたやり方で、四角形という枠組みを設定し中心点を決めることからグリッドの観念が生まれました。境界が定められ、グリッドを繰り返すことで発展し、さまざまな広がりを決めていきます。しかし、同時にグリッドがある種のしばり、制限にもなります。次に中心点が四角のなかでゆがみ、自在な場所に移動することで、ひずみのあるグリッドが過去40年間に生まれてきました。箱をつくり、次に箱を解体する、つまり脱構築です。3つ目の現代的なデザイン構築法では、中心がグリッドの外に飛んで出てしまっている。新しいテクニックでは自らを律することで、もう境界が必要でなくなっているわけです。これらをさまざまに組み合わせてデザインをつくり上げていきます。
次にそれを構造的に示すと、クラシックなやり方は柱と梁が規則正しく並びます。次にゆがみのあるものでは、柱・梁の関係にキャンティレバーなどが現れ、ひずみやひねりが生まれてきます。現代的な手法では、私はそれをキャスケードと名づけていますが、お互いに支えあうことで全体として成り立っています。

サーペンタイン・ギャラリー・パビリオン 2002

ロンドンのハイドパークに3ヶ月間だけ建てる仮設の施設で、伊東豊雄さんと一緒にやったプロジェクトです。キャスケードを応用しています。まず正方形に1/2、1/3の交点を結んで線を加えていきます。それを繰り返すことで、元の四角の境界はなくなり、さらに少しずつ回転を加えることで格子状になり、四隅の角を落とし、スチールのネットを折りたたんで全体を構成します。仕上げ材はアルミと強化ガラスで、すべてのラインとスペースが交錯してできています。クラシックな形態も意味がありますが、これもまた非常に現代的なフォルムの誕生で、独自の組織、つまりnew organisationを有しているといえます。
正方形に1/2なり1/3の交点で線を引くわけですが、どこからスタートするかで大きく異なります。さらに回転させることでらせんが生まれます。パビリオンを400m上空から見ると、らせん状の渦巻きがあり、その中心にパビリオンがあることが分かります。Deep structureつまり実際に目に見える建物の奥深くに存在する構造といえます。構造であり建築である前に、これは幾何学での思考の具現化です。

サーペンタイン・ギャラリー・パビリオン 2005

伊東豊雄さんの3年後に建てたポルトガルのアルヴァロ・シザ設計のパビリオンで、テーマはポルトガルの伝統である「貧しい芸術arte povera」で、木を主材料にしています。単純なグリッドから発想をスタートしました。キャスケードの考え方で屋根を構成しています。線はお互いを突き抜けていくことから同心円状の構造になりますが、ここではニアミスが起きたらどうなるかを考えました。些細な反乱が全体にどのような影響を及ぼすか、総毛立つような興奮を与えてくれることを期待して、ジグザグにわずかなズレを採用しました。古典的な木組みを組み合わせながら、ずれを加えていきます。斜めに走るオレンジ色の格子が自らを支え、その間の黒い部分がオレンジ部分を支えることで、ちょうど車輪が回転したように循環していきます。

ビクトリア・アルバート美術館コンペ案

さらにラジカルなアルゴリズムの応用例で、ダニエル・リベスキンドと協働したコンペ入選案ですが、実現しなかったものです。30×20mぐらいのコンクリート板による箱が親亀の背中に子亀という方式で空間が重なり合ってできています。キャスケードの考え方の典型的なものです。外部に開口部はないのですがラッピングの隙間から光を取り入れます。平面的にも隅をユニークに使っています。全体に大きな空間で、空間の細分化にアルゴリズムが活躍します。想像もつかない、予測もできないようなやり方で空間が分割されます。古典的にはらせん状に動き続けるけれど、この場合は円が動いていくと同時に中心点も動いていくところが大きな違いです。その軌跡を引いていくと、中心点も動いているため、ちょうどバネのような形になって重なり合い、全長500mのロードベアリングウォールが重なり合っていくことで全体が構成されます。
中心点が動いていくことでさまざまな形態が生まれます。中心の動きが少ないとパゴダ状になります。ひねりが加わると立ち上げ時点とまったく異なる形態に行き着きます。クラシックな幾何学では、くぼみの底に置いたボールの動きと同じで、反復運動になりますが、丘の上に置いたボールはどこに行くか分かりません。それが現代的な幾何学です。新しい形態を求めるなら、古いモデルを参考にせず、新しい発想をするべきです。

コインブラの歩道橋 2006

私自身がデザインをしたポルトガル・コインブラの川にかかる200mの歩道橋です。ただ1本のまっすぐな線を途中で折りたたむことで、まったく新しい表情になっています。コインブラは古い大学のある街で、それを見渡すことができる位置に架かる歩道橋なので、あまり急いで渡ってしまわず、真ん中で立ち止まって景色を楽しめるような橋にしました。両岸からシンプルなアーチ状の橋桁があり、川の中央部の幅が広くなったところには、アーチが途切れて、ただ幅の広まったデッキがあるだけです。橋が一直線ではないため、手すりもそれを考慮して折りたたんだようなデザインにし、鉛分の少ない特殊な色ガラスをジグザグにはめ込んで、光を透過したり水面を映し出しています。昼間だけでなく夕方の低い光も通して輝き、夜間になると橋そのものは見えなくなって、まるで光のリボンのようになります。これは線をリボンのように折った例です。

ロンドンのツイストビル計画

次は塊、固体をねじったり、ひねったりすることで生まれる形態です。28000m2のオフィスビル計画で、隣接する道路から見るとひねった形がよく分かります。ロンドン南部のバタシー発電所再開発計画の一環のサウスパークです。マスタープランづくりから係わっています。リボンをひねったような駐車場から上がってくると平面的にも床が上下していて2次元でなく3次元空間になったユニークな広場に到達し、さまざまなくぼみを通して空気や光が入ってきます。また、自分がどこにいるかが、それによって分かります。ツイストビルは120×80mの、中央にアトリウムのある箱をひねったものです。ひねることで、いわゆる柱などの支持は必要がなくなります。クライアントは有名な自動車メーカーで、上部をショールームとして、下部にオフィスを配置しています。少しひねるだけで、立面や平面からも、ル・コルビュジエのような古典的なフォルムがまったく新たなフォルムに変身していることが分かります。全体がスパイラルな動きでひねられ、ずれて重なりあっていきます。

建築のフォルムは新たな幾何の発見から

私の担当した建築のフォルムをすべてモノグラフにしたものが雑誌『a+u』2006年11月号別冊の私の特集号の表紙になっていますが、潜在する建築の新しいフォルムの発見は、新しい動きのある幾何学の再発見から引き出せるものだということで、私の話を一旦終わりにします。ありがとうございました。(拍手)

伊東 豊雄(伊東豊雄建設設計事務所代表)講演

はじめに

私はこれまでに5回ほどセシルさんと講演会や対談をご一緒しています。1990年代半ばにドイツのワイマールで開催された講演会が最初です。そのときに私の講演のなかで、あるひとつの映像を映しました。水中に1本の杭が立っており、片方からもう片方に水が流れて行くときに、杭の後ろに水の渦がどのようにできるかというのをコンピュータ・グラフィックスでビジュアルに表現したものです。水の流れの速さによって渦の形態がさまざまに違ってきます。それまでの建築というのは、まわりが変わっても変わらない、この杭のようなものであったのですが、しかし私は、水の流れのように変わる建築、渦のような建築をつくりたいと考えているという話をしました。渦はまわりの水と境界をもたず、水の変化とともに形も変化していきます。そういうやわらかい流動体としての建築ができないかと考えていたのです。

下諏訪町立諏訪湖博物館・赤彦記念館1993

イメージとしてあるものを実際の建築の構造に置き換えるにはどうしたらいいかという方法が私には見えていませんでした。諏訪湖畔に建つ博物館ですが、一見すると流動的な形をしています。しかし、この形態を成立させているのは非常に単純なジオメトリーなのです。背面に湾曲したコンクリートの壁が1枚立ち、それと直交するように1/4円のアーチがかかっている。つまり円弧の組み合わせでこの構造体を成立させています。この建築から10年以上が経っていますが、私の建築のイメージはそれほど大きくは変わっていません。ところが、こうした建築を成立させる方法が大きく変わりました。その方法を確立していく課程において、セシルさんとのコラボレーションが果たした役割は非常に大きなものでした。

サーペンタイン・ギャラリー・パビリオン 2002

実質的にこれがセシルさんとはじめてコラボレートした作品です。プロジェクトの説明は省き、コラボレーションの内容を中心にお話します。2001年の年末にセシルさんから一緒にやろうという電話をもらいました。しかし、2002年7月には完成していなくてはいけない、つまり、わずか半年で設計から施工までをやらなくてはならないプロジェクトなわけです。1月にセシルさんにふたつのイメージを送りました。ひとつは17m四方の高さ4.5mで1枚の屋根スラブが柱状の支えがない状態の、なんらかの方法で宙に浮かんでいる案、もうひとつが同じボリュームですが、内部には1本の柱もない、表面のパッケージによって構造体が成立するイメージでした。表層だけでつくる案については、メッシュ状になんらかの補強を加える案と、セシルさんのワイマールでのレクチャーで紹介されていた、あるスタジアムのためのスケッチから、僕が勝手に発想した、ランダムに玉突きの軌跡のようにラインが交錯していくことによって屋根を支えることができないだろうかというファックスを流しました。その後、2週間後にロンドンではじめてセシルさんと打ち合わせたときにA4用紙にびっしりとスケッチが描かれたものが10数枚出てきました。他のエンジニアとセシルさんが大きく違うのは、セシルさんは無尽蔵にアイディアが出てくるところです。そのなかから私のイメージに合うものを選び、模型で確認したりしながら進めます。本当に一緒になって考えます。セシルさんはときに数学者になり、エンジニアになり、思想家になります。私はランダムにラインが交錯するということまでしか思いつかなかったのですが、セシルさんは意外と人間はランダムといっても既視感のあるものしか出てこない、しかしアルゴリズムによって、あるルールを与えることによって、むしろ体験したことのないラインが生じてくるはずだ、といっていました。サーペンタイン・ギャラリーは、実際に内部に入ると稜線が消えてしまい、四角い箱でなくドームのなかにいるように感じられました。また閉じ込められたという感覚がまるでなく、内外が反転したような、いままで体験したことのない不思議な感覚にも襲われました。

台湾大学新社会科学部図書館棟 2006

台北に建つ大学施設で、社会科学部の校舎の手前に図書館棟があります。セシルさんと協働のプロジェクトで、目下、基本設計が終わったところです。まわりの環境に連続させて、大きな木々の樹陰の下で読書するようなイメージです。一見するとランダムに見えるような柱の配置が、実はあるアルゴリズムのルールにしたがってつくられています。従来の柱の立て方は、仮にランダムだとしてもユークリッド幾何学の座標軸のなかに立てていきます。しかし、この場合は中心があり、そこから放射状にひろがっていくスパイラルのライン上に柱がきます。いくつも中心があり、花びらがたくさんつながっていくように展開しますが、その展開したものの、3つの中心からなる一部を切り取って図書館の屋根ができています。つまり繰り返しもあり、いくつかの中心もあります。20世紀の建築を象徴していた均質とは異なる、自然に近い空間に少し近づいたものといえます。

レ・アール地区再開発コンペ案 2007

パリのレ・アール地区再開発のコンペ案で、やはりセシルさんと一緒にやりましたが、入選しませんでした。レ・アール地区はパリの中心にあり、地下には地下鉄等が交差し、ショッピングセンターもあって1日100万人もの人々が行き交いますが、地上の公園が荒廃しているのを改良するための提案です。そこで地下にあふれるエネルギーをいかにして地上に引き上げてくるかをテーマにイメージしました。ここでもセシルさんは、打ち合わせの度に山のようなスケッチを出してくれました。その結果、逆三角形のヨットの帆のようなコンクリートの構造体のパーツで構成した抽象的な木々が並んだようなプロジェクトになりました。大小の三角形のなかに中心がいくつかあり、逆三角形の構造体はそれぞれねじれています。それぞれは相互に旋回、上昇しながら、各レベルで構造的に有効な相補ネットワークを形成していくというものです。

多摩美術大学附属図書館 2006

これは構造の佐々木睦朗さんとのコラボレーションです。1階床は周辺の敷地の傾斜に合わせて1/20のスロープになって、外部との連続性をつくりだしています。一見するとコンクリート打放しのアーチの連続する構造体のようですが、スチールプレートをなかに入れることで非常に薄くて軽い構造体になっています。ここではグリッドにねじったり、ひねったりという変形を加えていくことで非建築化を図っています。グリッドをたわめて90度を外して交錯させていくだけで、非常に変化に富んだ空間が生まれます。建物は2層ですが、スパンが1.8mぐらいから10数mまで変化します。足元が非常に細いアーチになっており、交錯する角度がそれぞれ異なるために、多様に違った形になります。上下はフラットスラブですが、アーチに囲まれることで、各ブロックがそれぞれに分節されたエリアを形成し、かつ家具によってそれをまた連続させています。

カリフォルニア大学バークレー校美術館・パシフィックフィルム・アーカイブ 2006~

やはり佐々木睦朗さんとコラボレーションしている作品で、基本設計が終わった段階の新しいプロジェクトです。敷地は大学の正門の前、周辺の街と接したところに位置します。そのため、街のグリッドをそのまま継承しつつ、キャンパスの流動的なネットワークも取り込んでいます。これもまた、グリッドを変形させていくという考え方です。通常の美術館はグリッドのホワイトキューブに穴をあけて連続させていきますが、ここではねじったり、ひねった壁のコーナー部分に三角や逆三角の隙間ができますが、そこを通じて空間が連続していきます。グリッドで一度切れた空間をもう一度リボン状に連続しています。3層で、総面積は仙台メディアテークと同じくらいの規模です。街のグリッドと大学キャンパスの流動性が、グリッドの変形に反映しています。多摩美術大学の図書館と同様、ここでも分節されながら連続しています。2枚の鉄板の間にコンクリートを打つことで、大体10cmの壁厚で済みます。リボン状の壁が表になったり裏返ったりして壁が連続しています。広場や外部に面しても、明確に内外を区別するのでなく、水が流れるような連続的な境界面で構成しています。またここを訪れた人々が、アーカイブスも調査・研究活動も含めたさまざまな活動が視覚的に把握できる、総合して一体となったものがミュージアムであるという概念をつくり出したいと考えています。

台中メトロポリタン・オペラハウス 2006

セシルさんと協働しているプロジェクトで、ようやく実施設計が終わりました。2000席、800席、200席の大中小3つの劇場と商業施設で構成されます。構造体は水平・垂直方向に連続するチューブの連続体で、壁を隔てて2組の連続体が隣り合っています。五角形や六角形を連ねて、それをプログラムに合わせて4層分にして変形させていき、それらを結んでいくと立体的になったネットワーク状の空間が生まれる。それをなめらかにしていくと、まるで骨格のような構造体になっていきます。しかし、こういう形なので実際にスタディするのはたいへんでした。メッシュ状のスタディモデルを山のようにつくってやりました。床をどのレベルに設定するかで刻々と面積が変わります。またどこまでが床でどこから壁か、どこから天井かもはっきりしません。いままでの建築のさまざまな約束事がまったく意味をなしません。全体を58のブロックに分け、トラスウォール工法という、両側にメッシュを張って内部にトラスを入れてつくることに決定したところです。すでに日本でモックアップもつくりました。ここ数ヶ月のうちに入札、秋に着工の予定です。断面を10cmきざみに切ってつなげていった映像を見ていると、本当に流動体のような姿で現れてきます。 以上です。どうもありがとうございました。(拍手)

対談:セシル・バルモンド(オーヴ・アラップ・アンド・パートナーズ副会長)×伊東 豊雄(伊東豊雄建設設計事務所代表) モデレーター:金田 充弘(東京藝術大学准教授)

はじめに

金田

みなさん、こんばんは。本日のおふたりの講師を簡単にご紹介します。まず、セシル・バルモンドさんは4つの顔をもっておられます。ひとつはアラップという総合エンジニヤリング会社のアドバンス・ジオメトリー・ユニットという、リサーチに基づいた設計活動をするグループのダイレクターとしての顔、ひとつはペンシルバニア大学の研究者・教授としての顔、ここでは建築だけでなく医学のがん細胞のジオメトリーについて研究されています。3つ目は『インフォーマル』や『エレメント』等の本の著者としての顔です。4つ目は建築を目指す前に携わっておられたクラシック・ギター奏者としての顔もお持ちです。伊東豊雄さんは、ここで改めてご紹介する必要はないと思います。国内・海外含めて多数の受賞をされています。さて、昨日の東京では、お二人の講演の後の対談では、「超高層の未来」というテーマでお話をしていただきましたが、今日はそれと対極にあるような「自然」というキーワードで対談を進めていきたいと思います。よろしくお願いいたします。

木の生長に学ぶ

金田

伊東さんのお話の最初に出てきました渦あるいは流動体についてもそうですし、セシルさんの最近の著書『Element』でもほとんど自然の写真集のような構成になっていますが、おふたりのこうした考え方はもちろん自然そのものを模倣するということではなく、その根源にあるなにかを抽出して、均質性を破った、しかしあるルールのあるもの、というなにかを求めるというところに着目されているのだろうと思います。その辺のお話から、まず、伊東さん、お願いいたします。

伊東

話を分かりやすくするために、1本の木が生長していくプロセスを思い描いてみてください。木は二股に分かれるという動きを単純に繰り返して成長していきます。この単純なルールのなかに、実は非常に複雑なことが秘められています。つまり、そのなかに、いま私たちが考えようとしている建築のほとんどすべてが含まれているわけです。木は最初から、このよく知っている形と決まっているわけではありません。ところが建築は、私の下諏訪町立博物館にしても、いかに流動体をイメージしていたといっても、最初に形をイメージし、その形をどのように表現するかということからスタートしています。いまでも多くの建築がそのようにつくられていると思います。ところが木は最初からどのような形になるかが分かっていません。枝分かれするといっても、まず自分のバランスの問題、そして太陽の光や風の当たり方、隣がどうなっているか、といった周辺とのさまざまな相対的な関係によって生長が変わっていきます。そして時間的なプロセスを包含しながら形が形成されていく。二股に分かれるという非常に単純なルールの展開でつくられていきますが、なおかつ閉じた系でなく開いた系としてどのようにも伸びていけるのです。周辺との関係や自分のエネルギーとの関係によって木の生長が決定されていきます。もうひとつ興味深いのは、枝分かれして伸びていくプロセスでどんどん細分化というかフラクタルになっていくということです。さらに非常に出入りのはげしい表面をつくっている。こうした5つの問題が包含されており、これらは現代建築というか、私たちが考えようとしている建築にすべて当てはめられるものなのです。そして非常におもしろい問題がここにあるのだと思います。そういった意味で、従来、建築は正方形や球体をつくるという、閉じた形に完結して、そこに秩序をつくりだして、自然からいちばん遠い形をつくるのが、いちばん美しいと考えられてきました。しかし、いま考えている建築はそうではなく、もっと不安定で、自然の秩序に近い秩序をいまつくろうとしているわけです。そういう思想を変えていかない限り、いくらサスティナビリティとかエコロジーといっても、建築はなにも変わらないと僕は思っています。

バルモンド

伊東さんがいま見事にまとめてくださいましたが、私なりに木のことをもう一度考えてみます。木の種子のなかに入っている情報は枝分かれをするという秩序ですが、最終形がどのようになるかは分かっていません。しかし、木を見て美しいと感じるのは、自由に伸びているように見えますが、木にはコントロールされたリズムがあるからです。幹、枝がどれだけ成長して枝分かれしていっても、そこにはある比率が存在しています。葉脈にも同じような比率があります。枝分かれは人の目から顕微鏡のスケールにいき、最終的には細胞に行き着くわけです。木の究極の組織は細胞にあります。
建築との類似はたいへん興味深いものです。伊東さんのプロジェクトからも分かるように、シフトする小さな変化が重要で、自発的、即興的に出てくるように見えますが、実は組織の奥深くからの情報によって生み出されるものなのです。自然は自らを律する方法を知っています。好き勝手に生長するだけなら、すでに衰退して消滅しています。いまも私たちの目の前に自然が存在しているのは、そのなかに省略という、あるいは幾何学的な秩序があるからです。科学的に考えても、自然はときとして大きく飛躍することがありますが、すぐにそれにふさわしいコントロールの方法が見出され、ブレーキの役目を果たします。例えば多くのものがフィボナッチ数で解読できます。パイナップルの皮がどうなっているかとか、すべて非常にシンプルな係数なのです。1+1=2、1+2=3といった数が算数から導き出され、加算や飛躍と同時に、分節化していきます。
建築が完全にグリッドによって制御されたものになると、非人間的で目を覆いたくなるようなものになります。グリッドそのものは無害なのですが、厳密にはなんのメリットもバラエティもなく、それだけでは行き詰まってしまいます。自然のなかにある光や影といった多くのバラエティがフラクタル的に生長していきながら、少しずつ外部に向けての接点を増やしていくほうが、環境にも対応していくことにつながると思います。その意味では、ルールというよりテーマといったほうがいいかもしれません。自然は毎秒変化し続けていますから、自然をそのまま模倣することは不可能です。建築は人がそのなかを移動することをプログラムしていきますが、その奥深くにある組織がなにかを考えていくことが、今日の建築にとって重要なことだろうと思います。

伊東

セシルさんのお話で、木の枝分かれは、実は葉脈にも共通して存在しているということでした。たしか、セシルさんの中東のプロジェクトに、ある大きな単位がどこまでいっても細分化を繰り返していくという、木の枝分かれを参考にしたようなプロジェクトがありましたね。それを少し紹介していただけますか。木とまったく同じようなシステムが建築に持ち込まれていると思います。

バルモンド

3つのソリッドな塊が組み合わさり、そして徐々に皮をむくようにはぎとられていき、大きな空間を形成します。木の幹が伸び、枝が伸びて成長していくのと同じです。中心というか幹から離れていくと、スペースはより小さくなります。大きなスペースから小さなスペースへ、そして上下の重なり合いはカスケードで、相互の動きも見られます。断面図的に見ると、単純な層の重なりでなく、水平・垂直両方向にオープンカットな部分があって、さまざまなボリュームを擁します。上層に向うと次第に小さくなり、建物の輪郭もよりフラクタルになります。見上げると、らせん状の渦が見えます。このシステムから非常に美しいフォルムが生まれます。全体は大中小の3つの塊から導き出された3つの比率のみで構成しています。

フラクタルな地球をつくる

金田

自然から触発されて建築を考える人は少なくないと思いますが、単に形態の模倣でなく、その根底にある秩序のようなものを求めているということで、伊東さんとセシルさんは似たアプローチをされているのだと思います。やはり建築においては、秩序は必要なのでしょうか。

伊東

どれだけ自然に近づいていっても、建築は所詮、建築でしかあり得ません。この問題がいつも私たちに突きつけられるわけです。建築というのは、その時代の技術を使って生産しなくてはならないものです。どんな小さな住宅であっても、それは社会のなかに存在し、社会のなかでつくり出されるプロダクトです。そのためには、人と人のコミュニケーションを経て成立しなくてはならないものです。人と人のコミュニケーションに言葉が必要なように、建築においても、自分だけの言語でなく、コミュニケートできる言葉が必要です。最近はアートもコミュニケーションがなければ成立しませんが、これがアートと建築が決定的に異なる点です。そこで建築に求められるものはなにか、ということになります。例えば、私も傾斜した床の建築を設計していますが、基本的には水平な床や垂直な壁が求められます。しかし、水平・垂直で構成された建築が世界中に均質な建築を生み出し、自然と建築が乖離し、まったく関係のない存在になってしまった。この現実を目の前にして、もっと違う幾何学によって自然と融合し得る建築をつくらなくてはならないと思いつつも、一方でそれを社会のなかに戻してくるためには、それまで建築がもってきた秩序とどのように融合できるか、ということが最大の問題になります。
フラクタルについても、単に細分化して、そこにあるシステムをつくり出すだけでなく、どのように考えていくか、そこにあるのは、木はどうして1枚でなく同じ葉をたくさんもっているのか、ということと同じなんです。フラクタルにすることによって、まわりの環境と関係をもつことができます。人間の皮膚にはたくさんの穴が開いています。凹凸もあり、毛も生えているし、孔もあります。そうしたフラクタルな皮膚を通して呼吸をし、まわりの環境とさまざまな関係を維持していけるわけです。これと同じことを建築で考えていくと非常におもしろい。丸い地球をひだのある凸凹にしたらどうなるか、地球上に建築をつくり続けると砂漠のような皮膚になると考えられていますが、砂漠のような皮膚をつくらなければいいわけです。呼吸ができるような皮膚を地球の表面につくっていけば、建築を建てれば建てるほどフラクタルな地球になっていくということもあり得るのではないか、そのように考えていくと、いろいろなおもしろいテーマが浮かんできます。僕も含めて建築家はつるつるした表面の建築ばかりつくってきましたが、もっとひだひだの建築になっていったら、本当の意味で建築は変わっていけるのではないかと考えるわけです。そこにフラクタルという意味があると考えます。

バルモンド

もうひとつ非常に重要な、別な見方を述べてみます。人間の進化の歴史を考えてみると、パターン認識の歴史であったことが分かります。石器時代には、どこに動物がいて、なにが毒か、といった認識がまず基本で重要でした。それを認識し、記憶し、必要に応じて引き出します。このパターン認識の能力が、原始的な数学の始まりに結びつき、複雑な考えを単純化するということにも結びついていきます。例えば朝に小鳥のさえずりを聞いて、どれだけのことが思い出されるか、70%はまわりの自然も含めた属性で、残る30%が時々刻々変化する状況であるといわれます。それが自然の不思議なところです。この30%にディープ・ストラクチュア(深遠なる構造)を見出します。ディープ・ストラクチュアは組織の奥深くに脈打つリズムであり、常に30%ぐらいがシフトし続けているものです。「台中オペラハウス」の断面のムービーで見られたように、流動体は本当に美しいものです。ロンドンの「サーペンタイン・ギャラリー」でも、ただラインが交錯しているというだけですが、訪れた人々は居心地がよくて、だれも帰らないぐらいでした。ここでは交錯のリズムが気持ちよかったのでしょうが、人間の本能としてパターン認識の、そうしたバリエーションに対する許容度はやはり30%から40%です。
プラクティカルな効率至上の考え方による、凹凸のないグリッドのみの構成による建築になってしまって、19世紀の建築のもっていた凹凸や装飾による豊かな表情の建築が20世紀になって一掃されました。しかし、現代のコンピュータ時代にあっては、それはまったく意味のないことになります。形態をまったくワイルドに崩壊させることは不可能ですが、その方向に向けて少しずつ変化させていくことは可能であり、それが今日求められていることではないかと思います。

伊東

人間は動物的な側面もあり、視覚だけでなく、聴覚や嗅覚といった五感を駆使して自然のなかにあるシステムを感じ取っています。そこから人間のさまざまな表情が生まれてくるのだと思います。ところが、ひたすら均質化の一途を辿ることによって、そうした人間の表情が失われてきたということは、みなさん、十二分に分かっていることですね。現代社会になって、いかに人々の表情が均質化してきているか、というようなことで、いまのセシルさんのお話を聞いていました。

自然と対峙しない

金田

セシルさんはよくサプライズという言葉を使われます。伊東さんも、本来は平らである床が平らでなくすることで、より動物的な本能が呼び覚まされるというようなことがありますね。

伊東

建築というのは、こういうものだと私たちが思っている常識が山のようにあり、それをほんの少し外すだけでも、人間は動物的になります。家から一歩でたら、あるいは自然のなかを歩いたりすることは、すなわち動物的な感覚をもたなければ動くことができません。それと同じようなことを建築のなかでちょっとやるだけで、ものすごく変わるということを痛感しています。

金田

セシルさんは、いまはロンドンを本拠にされていますが、元々はスリランカの出身です。その辺に関係するかもしれないのですが、アジア的な、自然に対峙しないというか、自然に対する共通の感覚のようなものが伊東さんとセシルさんにはあるように思います。その辺はいかがですか。

伊東

大いにありますね。

バルモンド

もちろん、ありますね。私はスリランカで生まれ、育ちました。大学の学部まではスリランカで、その後、ロンドンで科学や数学や建築など、いろいろやりました。アジアで育つということは、西欧的な考えである、合理性や科学的な思考は最小ですみます。これをリダクションと呼んでいますが、物事を縮小し、煮詰めていくときに、物理でもそうですが、原子を解体していき、最小のところに行き着きたいと考えても、果物を切り刻んでいくと分かるように、研究の対象物はほんの少しになり、ナイフに付着してばらばらになってくずばかり、つまり物事の本質以外のものばかりになります。インド的、あるいはスリランカ的にこれを分析すると、アジアの人々にとっては、Organisationのいろいろなレベルを同時に並存させることが可能です。階層や選択もありますが、共存が可能なのです。私がフラクタルに注目し始めたころに、伊東さんのあるプロジェクトの写真に発見したものから、私は考えを発展させました。世界はより複雑なものであって、決して単純ではないということを認識すべきです。建築家であっても、同時にそのなかで生活する人間であることを忘れてはいけません。こうしたより大きな問題を認識した上で、解決策を見出していかなければいけません。モジュールに関しても、これまでのグリッドや箱といったことだけでなく、木の生長に見たような比率など、変化を受容するなかでの新しいモジュールを見出していかなければいけません。

伊東

非常に共感します。セシルさんの新著『Element』のなかには、セシルさんご本人の美しいスケッチと同時に、非常に数多くの自然の写真が掲載されていて、これを見ているだけでも、自然と建築の関係を考えさせられます。僕が台中オペラハウスで、いちばんやりたかったことは、実は人間がある飲み物を飲んで、それが内臓を通って排出されるまでを模式的に描いた図に表れていますが、胃というのは、人間にとって外か内か、実はどちらともいえるのです。この状態を建築でつくり出したいわけです。なぜそんなことを考えるかというと、ホール空間というのは、一切外界と遮断して、外の音が入ってこないようにします。それは基本的なことで、機能的にはそれがいいことだと、だれもが100%信じて疑いません。しかし心のどこかで、例えば講演会を寝転がって聞けたら楽だとか、音楽会ももっと楽しいかもしれないという思いもあるはずです。そういうことは他にもいろいろあるはずです。なぜ、あれだけ複雑なものをつくるのかと思われるかもしれませんが、内外の関係をあいまいにしていくために、あの台中オペラハウスの形が出てきているのです。建築の内部にいても、人間が動物的な感覚でいられるような建築をつくりたいのです。

バルモンド

私もまったく同感です。

新しい秩序を求めて

金田

さきほどセシルさんがいわれた70%は秩序があって30%が変化しているというお話ですが、そこに本質的、動物的におもしろいものがあると思います。伊東さんは台北市立美術館での展覧会で「Generative Order 衍生的秩序」をタイトルにされていましたが、秩序を生み出すプロセスというか、伊東さんの建築にとって、秩序というものはどういう位置を占めているものでしょうか。

伊東

台北市立美術館で今年の3月から5月まで展覧会をしました。東京のオペラシティ・アートギャラリーで2006年にやったときに、波打つ床をつくりましたが、台北では台湾大学図書館棟のパターンにもとづいて、やはり波打つ床をつくっています。なぜこういうことをやるかというと、これは単に床でインテリアなので、建築にはなっていませんが、ほんの少し床を自然の地面のような起伏に変えるだけで、実に興味深いことがたくさん起こります。靴を脱いで歩きますが、足の裏の感覚を働かせないとうまく歩けませんから、まずみんな足裏の感覚に敏感になります。たったそれだけのことでも、人間がいかに開放されるかがわかります。子どもたちは本当に楽しそうに走り回るし、なにも誘導しなくても、あちこちに座り込んだり、寝そべって壁面の映像を見てくれたりします。最終日には大混雑で、まるで海水浴の海岸のような光景でした。そういう自由さを生み出すために新しい秩序が必要なんだと思います。「Generative Order」というのは、秩序からの解放でなく、新しい秩序をそこにつくり込むことで、そのことによって、建築をもっと自由にするというのが目的です。

バルモンド

「Generative Order」にはふたつの側面があります。ひとつは、伊東さんが台北の展覧会でおやりになったような、感覚や感情に訴えかけるものです。もうひとつは。植物の生長の過程で、植物自身は自分がどのようになるかを知りません。ただ生長のためのルールがあるだけです。くるくるとスパイラルに渦を描きながら生長していきます。実際に植物の生長の道筋は太陽を求めて渦状になっています。正確に137.5度の角度で順に葉が効率よく太陽の光を求めて成長していきます。これが科学的な意味でのGenerative Orderであり、何世紀もかけて育ってきたオーダーです。
哲学的に話をしますと、ディープ・ストラクチュアというのは、いわゆる構造としての構造だけにとどまらず、どのようにつくられ、結合し、細分化し、そして体系化していくのか、そこにはOrganisationが大きく係わってきます。なにかがなにかに対して忠実であること、それで成立していることは、そこになんらかのつながりがあることです。さらに別な要素が加わる場合は、もっとつながり合いたいという意図があるわけです。そのようにして世界がつくられていますが、非常に深い部分に本能的な衝動があるのではないか、その衝動、つまり自らのあるべき姿を目指したいという意思があるのだと思います。例えば白紙に建築家が好きなエスキースを描いてなにかをプログラムしていくことがありますが、そこに他者の参入を許し、生長も可能にしていくことは、革命的な意味をもつ大きな飛躍といえます。それこそがGenerative Order の意味するところです。回転する変化のための比率をもつこと、そして最初に話したように、私たちがパターンを認識できるような進化の可能性を示していくことによって、規制されているオーダーよりもGenerative Orderのほうを、私たちの感性は鋭く察知します。木の枝分かれの葉の部分を見てみるとよく分かりますが、枝分かれしていく葉脈のエネルギーがさまざまであることが分かります。それぞれ別個のGenerative Orderであって、ひとつのオーダーであるとは限りません。それは抽象的な数学の非常に大きな不思議のひとつです。数学における素数というのは、1とその数自身以外に正の約数がない数字で、3,5,7といった数ですが、どれだけ計算方法が追求されても、素数が存在しているという事実は変わりません。他の数で分けることができない、ここに示しているのは、そのような生長のなかのギャップであり、私がいうシリアル・オーダー、つまりひと続きのオーダーがまさにこれです。秩序はあり、感覚的につかめるわけですが、具体的になんであるのかがまだ分かっていません。しかし、たしかに存在していて、目の前で変化していき、ちょうど風になびく麦畑のような美しさすら感じます。
もうひとつ別なGenerative Order の例として、ナミビアの砂丘に風が吹いている写真がありますが、そんなに変化や違いがあるわけではありません、ほとんどどちらを向いても同じような光景が広がっていますが、ここには常に変化があります。さきほどの比率でいうと80%対20%です。また、バラの生長を見てみますと、ひとつの花が咲くと次が生長してくるというシンプルなルールの繰り返しです。つまりつらなり、重なりというGenerative Orderです。

アルゴリズム

金田

伊東さんは、さきほどGenerative Orderの説明で建築を自由にするということで、解放する秩序といわれました。いまセシルさんが説明したような、自然をそのままコピーすることではなくて、そのバックグラウンドにあるルールを抽出して適用するわけです。そうした場面でよく使われる言葉にアルゴリズムというのがありますが、セシルさんも伊東さんもよく使われます。まずは、セシルさんのアルゴリズムの定義をお聞きしたいと思います。

バルモンド

とても簡単な答えですが、リピート、繰り返しのルールです。例えばダンスを考えて見ますと、何度も同じステップを繰り返すことでそれが進化してダンスになっていくということではアルゴリズムです。また、1という数を考えますと、1+1+1といったことで、すべての数がアルゴリズムになります。それはシンプルな幾何学にもなるし、伊東さんのプロジェクトに見られるように、空間的には数学的にもなり、物理的な輪にもなるし、繰り返すことで渦巻きのようにもなります。広義でいえば、私にとってアルゴリズムは、空間はアルゴリズミックであるといいたい。つまり、省略していくのでなく、全体的なものです。最初にお話した、柱の間に空間があったというクラシックな建築の考え方からスタートし、それが組み合わさっていき、さらに近年はスペースとギャップ、その間をいかに組み合わせていくかが重要になっています。考え方の基本が変わってきているのです。

金田

セシルさんが使われるカタリスト、建築を解放するための触媒としての使い方、サーペンタイン・ギャラリーのときに伊東さんがいわれていた、人間が一生懸命つくろうとするよりも、自分がもっている既成観念にとらわれないために使うアルゴリズムということを、おふたりは話されているのだと思います。その辺のことを伊東さんはどのようにお考えになっていますか。

伊東

セシルさんが今日お話になったプロジェクトでいえば、サーペンタイン・ギャラリーの場合は、正方形という完結した形態を回転させることによって解放する系に置き換えています。ダニエル・リベスキンドのプロジェクトでもひとつならキューブという閉じた形のものをスパイラル状に回転させることによって開いた系にしていきます。その開いた系にするということが非常に重要な意味をもっています。また、回転というのは、それまでのユークリッド幾何学のなかではあまり見られなかった方法です。これまでは、建築家は平面図や立面図や断面図を描けば、建築は理解されると考えてきました。ユークリッド幾何学の座標のなかで点の位置を決めていくことですべてが表現できると考えていたからです。ところがセシルさんは、幾何学というのは運動する点の軌跡だといわれるわけです。つまり、動いていく点の軌跡を辿っていくことが幾何学で、正方形や立方体や円というのは、そのなかでは非常に特殊な形態だといわれる。むしろスパイラルのようにどこまでも運動していくもののほうが幾何学だという、ある種の逆転があります。そうすると、その運動していく点をどのように決めていくか、そこにアルゴリズムが必要になります。つまり運動の方向と距離を規定していかなくてはならない。これは従来とはまったく違った方向で、いろいろ興味深いことが起こります。それが木になぞらえてお話したことですが、僕にとってのGenerative Orderなのです。もう一度繰り返しますと、運動というのは一度にすべてが決まるわけではなくて、時間の経過にしたがってものが決まるという、時間のプロセスを伴っています。また、まわりとの相対的な関係によってものが決定されていきます。それから、セシルさんはルール、あるいはテーマといわれますが、あるルールにしたがってものが決定されていくわけです。それから開いた系であること、そして細分化していくという意味でフラクタルな構造をもっている。これが僕にとってのGenerative Orderなのです。では、そのことによって、一体なにをしたいのかといえば、結局は、本来の人間的な空間に建築を引き戻していく、ということです。だから、なにか新しいことをやっているようですが、むしろ人間本来の空間に戻していくという作業をやっていることになります。

バルモンド

どのようなアイディアにおいても、パターン認識は非常に人間的なことです。伊東さんのサーペンタイン・ギャラリーで、もし正方形との交錯する点を半分のところにしていたら、一周して元のところに戻るので、四角の中に入れ子状に小さな四角が入る形態になり、上に伸びていくだけになり、展開するのでなく、収斂していってしまいます。アルゴリズムとしては解放系でありたいので、そうではなく、四角い箱の外にまで突き出すような交点を求めて1/3の交点が決定されました。そこではシンメトリーは維持されます。非線形の状態になるとシンメトリーは破られますが、背後にシンメトリーが潜んでいます。シンメトリーというのも、コンピュータの力を借りて活用していくと、まだ新しい可能性のあるものであるといえます。自然は境界がありません。だからこそ、フラクタルというのはオープンなのです。宇宙のように境界がない世界を、もっとデザインの世界でも追求していくべきです。非常に興味深い分野だと思います。

フラクタル+サスティナビリティ

金田

内と外の世界、境界のあるなしの関係など、たいへん興味深いテーマです。さきほど、伊東さんが人間の体内の胃袋が外か内かといったお話にもありましたが、建築の内外を反転させたり、連結したりということで、セシルさんから、なにかコメントをいただけますか。

バルモンド

インテリア、エクステリアということでは、伝統的に内外は壁で区画されてきました。しかし、折りたたむということを応用すると、内外があまり明確に違うものでなく、隣接したものになっていきます。そして、内外でなく、隣接してなにがあるかということになってきます。伊東さんのUCバークレー校のプロジェクトでもそうですが、グリッドのなかに折り目が出てきた瞬間から、内外の境界は消え去り、動き回る隣近所といった関係になり、きわめてルーズな関係が築かれていきます。インサイド・アウトサイド、つまり内外というのは、たいへん古めかしい規定になっていきます。たたんだり広げたりという空間では、どんな小さなスケールでも、内外というより、隣接し合うことに意味が出てきますね。

伊東

体内の胃袋の反転のような内外の反転もあります。内外が1枚の直線の壁で区切られていることが一般的ですが、内外の境界の壁はフラクタルになればなるほど長くなります。内外が区切られていても、ひたすら繰り返すことによって、内外の関係をはるかに細密につくり出していくという方法もあると思います。

バルモンド

例えば、音楽ホールとギャラリーからなるプロジェクトでは、塊はつながりあっていますが、フラクタルな形態の究極で内外がまったく分からなくなっています。しかし、インターバルをきちんと計画していくわけです。塊としては内外が分かりますが、接近していくと内か外かが分かりません。

金田

お話を伺っていて、呼吸できるフラクタルな地球とか、ファサードがどんどんフラクタル化されていくといったお話から、フラクタルとサスティナビリティがうまく融合する建築を、伊東さんは次のステップとして考えておられるのだろうと思いました。

伊東

実は、まだプロジェクトとして公開できる段階ではないのですが、いまはじめての200mの高さの超高層ピルに取り組んでいます。仮に50m四方の敷地に200mの高さの建物を建てるということは膨大な表面積です。それが単なるガラス張りの箱だと、猛烈なエネルギーロスにつながります。それを呼吸できるような、内外の関係が境界のない、そんな皮膚のようなものにできたらと考えているところです。うまくいけば、それだけ地表面が広がったと考えられるような、そんな可能性を追求しています。セシルさんも、昨日の講演では超高層建築についてお話されたのですが、是非一緒にやりたいね、といっておられました。

バルモンド

超高層についてはジレンマがあります。つまり、超高層はいまだに、ある基準階平面の繰り返しという域を出ていません。依然としてそれをやっています。100m、200mと高くなり、いまや700mまで建つようになりました。1kmの高さまでいくのも時間の問題です。しかし、いまだに空調ひとつ取り上げても既存の地面から切り離せていません。環境的にも風や光をもとにした新しいタイポロジーを構築すべきです。200mを超えた上空では地上とまったく条件が異なります。小さな庭を30階ごとにつくればいいということでなく、もっと根本から考えなくてはいけないことが数限りなくあります。現時点で考えられているのは、どのプロジェクトも地上の環境をそのまま上空に当てはめたものばかりです。やるべきことは山のようにあり、膨大な作業量です。

未来に向けて

金田

おふたりで組まれての超高層計画、楽しみにしています。話は変わりますが、さきほど伊東さんは台北市立美術館での展覧会を紹介されましたが、セシルさんは昨年秋にデンマークで展覧会を開かれています。どちらの展覧会もいわゆる普通の建築家の作品展のようなものとは大きく違っていました。特におふたりの共通点として感じられることは、専門家が見ても楽しめる展覧会であると同時に、子どもたちが非常にのびのびと楽しんで見学していたのが印象に残っています。特に伊東さんの展覧会はそうでした。こどもたちは理解しているというより、敏感に反応しているんですね。その意味では開かれた展覧会、ひいては開かれた建築といえるのではないかと思いました。セシルさんの展覧会も、ご自分の軌跡の紹介にとどまらず、建築の背景に数千年の歴史があるということを伝えるためのコーナーがあったり、建築のプロでない人たちにも分かってほしい、という意図のあるものでした。実際に、オープン当初は建築関係の見学者が多かったのですが、数ヶ月経つと一般の人たちのほうが多くなったということです。たまたまそうなったということでなく、一般の人たちに建築を伝えたいという意識がはっきりとおありだったからだと思います。これがおふたりに共通のテーマなのではないかと思いました。展覧会は自分のコンセプトを直接伝えられる場ですが、そのなかで開かれた建築を目指されているのはなぜかということをお聞きしたいと思います。

バルモンド

昨年、デンマークのルイジアナ美術館で開催した展覧会ですが、金田さんのいうとおり、大成功でした。本当に一般の方々が大勢見に来てくださいました。展覧会ではものがどのようにしてできるかということを、いろいろな方法で示しました。サーペンタイン・ギャラリーなどの建築をはじめ、DNAのスパイラルなど、いろいろなものです。もののつくり方には方法があるということを説明するだけで、子どもたちも含めてみんな夢中になります。まるで積み木に夢中になる子どもたちのようです。レゴを組み合わせるような原初的な方法から、でどんな建築もできていくということを理解してもらいます。単に作品を紹介するのでなく、伊東さんも東京や台北の展覧会でおやりになったように、見ている人を引き込むようなスペースをつくる試みをしています。その底流にあるのは、建築の歴史というのは、人類史上もっとも豊かな内容のものであるということを伝えたいという思いでした。そこで二千年の歴史を石器時代から、パラーディオ、ガウディ、そしてエンジニヤ・アーキテクトの分野ではフェリックス・キャンデラやフライ・オットーらを紹介することで、そうした人々がどのような思考で、どのように建築をつくってきたのかを辿ります。そして私の作品も含めて現代の新しい建築を実感できるようにしています。
「H-edge」と呼ぶインスタレーションでは、インディアン・ロープの原理を応用し、垂直に床から立ち上がる鎖の間にアルミのH型のプレートを無数にはめ込むことで、鎖は本当にそれだけの構成で支えなしに床から立ち上がっています。だれもがこの3次元の空間を体験し、興味と感心をもってくれました。また、3次元的な四面体のなかに四面体をぎっしり詰め込んだ長さ18m×高さが5mほどのものを回転させていくと、なかに詰まった四面体の様子が分かります。鏡でつくりましたが、子どもたちはこれが非常に気になって夢中になっていました。外形でなく、内部のスペースがどうなっているかが分かるものは、より強く感心を引きます。建築家でなく、一般の人たちに図面や模型だけを見せてもなにも理解されません。そんな展覧会は役に立ちません。一般の人たちに建築を理解してもらうためには、特に新しい考え方を分かってもらうには、人間を中心にした鑑賞者も参加するような展示でないとだめです。それがうまくいくとうれしいです。

伊東

セシルさんのデンマークでの展覧会は見ていませんが、しばらくすると日本でも開催されるようなので楽しみにしています。実はセシルさんは、エンジニヤで、数学者で教育者で、ギタリストで、さらにもうひとつの顔はマジシャンです。最初にワイマールで講演を聞いて、「本当にこんな建築があり得るのか」と心底驚きました。従来の建築にない、なにか新しい、しかし、そこに内在する基本的なルールやシステムは、子どもでも無意識にかもしれませんが、感じられるのではないか、その感じるというのがたいへん大事なことだと思います。
建築家の展覧会は図面と写真と模型で構成されて、外から建築を見るだけというのが常ですが、それでは理解されないし、子どもたちにとってこれほど退屈な展覧会はない。だからなかに入り込めるような展覧会というのを、僕の場合も考えました。もちろん、空間そのものを体験し、感じてもらうことも重要ですが、それと同時に、建築というのは自由なものなんだ、変わってきているんだということも分かってほしい。その新しさのなかに、いままでにないルールというかテーマが潜在しているということも理解してもらいたい。それは自然界にあるものと同じではないか、ということを感じ取ってもらうために、子どもたちと話し合うというワークショップもやりました。展覧会場で、ある時間が経つと、子どもたちが無我夢中になり始めます。動物的な感受性は大人より鋭く、シャープです。展覧会だけでなく、建築をデザインするということ自体も含めて、これからもそうした方向でやっていきたいと考えています。建築は楽しいものなんだということを理解してもらい、建築を学ぶ学生たちに建築のことを伝えるためには、どのように話せばいいのか、ということを常に考えていきたいと考えています。大学の教育だけではできないことをやっていきたいと思っています。

金田

おふたりに共同で超高層プロジェクトもやっていただきたいと思うと同時に、共同の展覧会もあり得るのではないかと思います。展覧会のなかで子どもから大人まで含めた建築教室も開かれればいいですね。あっという間に予定の2時間を過ぎてしまいました。質疑応答の時間も取りたかったのですが、時間がなくなりました。本日はたいへん興味深いお話をありがとうございました。(拍手)

セシル・バルモンド(Cecil Balmond)

1943年スリランカに生まれる。卒業後の研究のためロンドンに移る。現在、ロンドンに本社を置き、7,000人以上のスタッフが随時10,000件以上のプロジェクトを進めている総合エンジニアリング・コンサルティング企業オーヴ・アラップ・アンド・パートナーズの副会長である。伊東豊雄をはじめ、レム・コールハース、ダニエル・リベスキンド、アルヴァロ・シザ、ベン・ファン・ベルケルなど、数多くの国際的な建築家たちと協働し、話題のプロジェクトを成功に導いてきた。彼の数字への興味、形態生成や音楽、数学への深い洞察は、20世紀の構造エンジニアリングの概念を遥かに突き抜け、21世紀の建築家たちにインスピレーションを与え続けている。また自ら創設したArup AGU(先端幾何学ユニット)において、斬新な研究と実験的なプロジェクトの数々を次世代の建築家、エンジニア、数学者とともに実践している。
ペンシルヴァニア大学教授であり、ハーヴァード大学、イェール大学、AAスクールなど多数の大学で建築デザインの教鞭を執る。著書に『ナンバー9』、『インフォーマル』など。

伊東 豊雄(いとう とよお/Toyo Ito)

1941年に京城市(現ソウル)に生まれる。1965年に東京大学工学部建築学科を卒業後、1965から69年まで菊竹清訓建築設計事務所に勤務した後、1971年にURBOTを設立。1979年は組織を伊東豊雄建築設計事務所に改称し現在に至る。
1984年「笠間の家」で日本建築家協会新人賞受賞したのちも、数々の賞を受賞。2002年にはヴェニス・ビエンナーレにおいて金獅子賞を受賞、また2006年に王立英国建築家協会(RIBA)よりゴールドメダルを受賞した。また、AIA名誉会員およびRIBA名誉会員であり、くまもとアートポリスコミッショナー、ノースロンドン大学名誉教授をつとめる。