第58回 現代建築セミナー

講師

西沢 立衛

テーマ 「近作について」
会場 2012年7月5日
東京

はじめに

ふたつの事務所に属する

こんばんは、西沢です。今日はよろしくお願いします。僕は東京でふたつの事務所に属して建築設計をしています。ひとつは西沢立衛建築設計事務所という個人の設計の活動のための事務所で、もうひとつは、妹島和世さんと2人で共同設計するSANAAという事務所です。
SANAAは海外や国内のコンペなど、大きいプロジェクトの場合、一緒にやると面白いのではないかということでつくった事務所です。シドニー現代美術館新館国際設計競技(1997年)に応募したことが、1995年にSANAA事務所を設立した直接のきっかけで、その時は運良く勝って、SANAA事務所を設立することになったのですが、そのあと運悪くキャンセルとなり、シドニー現代美術館のプロジェクトは結局実現することはありませんでした。
ただ、そのあといろいろなコンペに応募し続けていますので、今もSANAA事務所は継続しています。

設計の方向性

今日は両方の事務所でつくったものとこれから予定している作品を映像でお見せすることで、自分がどのような建築をつくろうとしているのか、どのような興味の方向があるのかをお伝えしたいと思います。ふたつの事務所に属しているといっても、事務所によって自分の興味ががらっと変わるわけではありません。
独立当時は、とくに何に興味があるのかもわからず、やみくもに設計していたという感じでしたが、いろんなチャレンジをしているうちに徐々に自分の興味や方向性を感じるようになってきました。その興味ということを今日は二つのことにまとめてみたいと思います。ひとつは人間が使うということです。人間が使うということを中心に建築の創造を考えることができないかということです。どの建築でも必ず人が使いますし、使わなかったとしても、それは人間のイマジネーションの対象になります。ヨーロッパに行きますと、ヨーロッパのまちなみはすごく古くて、我々の今のニーズに合わせてまちや建築ができているのではなく、むしろ逆に、何千年も前にできたまちに人間の方が合わせて住むという形です。もともと城であったところを住居としたり、もしくは工場としてつくった建物を美術館にしたりという、人間が建築を使うということのすごさ、すばらしさというものの例を、ヨーロッパで僕はいくつも見ました。
そのような例を見たり、自分で設計したりするうちに、建築に合わせて人が住むのでなく、ヨーロッパのまちとは逆に、我々が使うということから建築をつくることが、むしろ僕らの時代の建築創造の個性のひとつではないかと思うようになりました。
ただ、だからといって家らしい家をつくる、美術館らしい美術館をつくるといったような、機能的なもの、便利なものを作るということには必ずしもならないのがややこしいのですが、僕としては、使いやすいものを作るというよりも、人が使いたくなるような空間・建築を作りたい、と思っています。ある種の魅力的な空間は、人がそれを見て、ああこれは住んでみたいとか、自分だったらこのように使いたいとか、使うことの想像力を喚起するようなものではないか。そのような、イマジネーションというものを呼び起こす建築をつくりたいと思って、住宅にしても美術館にしても設計しています。
もうひとつの関心は、環境との関係です。建築は自動車と違って、動かないものです。なので、ひとたび建つとずっと同じ場所に存在しつづけ、環境の一部みたいなものになります。その意味では、建築をつくるということは同時に、環境をつくることでもある。新しい建物が出てくることで人々の生活も変わるし、通りの風景も変わるし、まちも変わる。建築それじたいは敷地内に納まるものですが、しかし建築が及ぼす範囲というものは、とうてい敷地内に納まるものではありません。それは環境的大きさを持つ、その意味でも、僕は建築の形をあれこれ考えるだけでなく、環境的な大きさというものを考えたい、と思っています。
建築だけではなくて、内部の家具やインテリア、もしくはランドスケープや通りというものまで、世界全体を考えたいということは、人の生活空間を考えたい、という興味もあります。そういうことを思ううちに、建築を作るときには、周辺の建物やランドスケープ、動線、いろいろなものが織りなす関係性に形を与える、関係性を建築にするということが、自分たちがやってきたことの特徴の一つなのだろうか、と思うようになりました。

豊島(てしま)美術館(2010 西沢立衛建築設計事務所)

これは瀬戸内海の豊島にある美術館です。直島の隣にある島です。直島福武美術館財団の活動が、2010年の瀬戸内国際芸術祭によって直島から広がって、いくつかの島にまたがる多島展開になってきました。この豊島美術館のプロジェクトはもともと直島で始まったものですが、その活動の広がりに合わせて、豊島で計画することになりました。最初この美術館の話を伺ったときに、福武さんはいくつか印象深いことをおっしゃいました。ひとつは、豊島の歴史の中でつくってほしいということ、もうひとつは、美術作品と調和したひとつの世界を実現したい、ということでした。現代美術家の内藤礼さんの作品を1点だけ、展示替えをすることなく永久に展示するということで、非常に特別なプロジェクトだと感じました。内藤さんの作品一点だけを永久展示するということで、作品を変えないということなので、作品と建築の一体的世界を追究するのがより自然なことのように思えました。
海に臨む山の中腹の小高い丘の上が敷地になっています。僕が最初に提案したのは、自由曲線のラインによってワンルームをつくるというものです。周辺はすべて自然で、直線というものがない世界です。そこで、円弧とか放物線のような数学的な曲線ではない、フリーハンドに近い自由曲線によってワンルームをつくることを考えました。水滴のような形です。自由曲線による水滴状の形態は、地形に非常に良く合いますし、四角い空間に比べより一体的なワンルームがつくれるのではないかと考えました。四角い部屋だと、建築的というか分節的というか、壁、天井というさらに小さな単位に分割できるし、また角があるのですが、このようなカーブの一室空間は壁も天井もなく、空間それ自体が最小単位であるような求心的なワンルームがつくれるのではないか。作品の1点展示というところを考えても、より作品のための集中的な空間になるのではないか、と考えました。エントランスが図面の右下にあって、そこだけがとんがっていますが、それ以外はすべてが自由曲線によってつながっていきます。
平面だけではなくて、断面方向にもカーブが起きています。構造家の佐々木睦郎先生と最初からコラボレーションしていて、どういう構造が良いか議論した結果、最終的にはコンクリートシェルの構造を採用することになりました。シェルストラクチャーは普通はもっと高さがあるものですが、ここではなるべく低い、水平方向に広がっていく空間を目指しました。端から端まで約60メートルを、柱や壁に支えられることなく、薄いコンクリートの版が飛ぶのです。高さは最大で4メートル弱くらいの、非常に低い空間です。シェルストラクチャーということの経済性だけから考えると、10メートルくらいの高さの方が良かったのかもしれませんが、あまり大空間にしてしまうと、作品よりも空間が中心になってしまうように思い、また、水平方向の広がりがある空間は、地形との関係を感じられるのではないか、とも思い、なるべく低く水平的なものにしました。地を這うように低く、地形にあわせて形を変える自由な形なので、自然との双方向的な関係によって空間の形が決まってくるムーブメントやダイナミズムが感じられ、環境との関係が建築の成り立ちになっているということを空間的に経験できるのではないか、と考えました。
これは左から右までを切った断面図です。コンクリートシェルが立体的にカーブしていく三次曲面になっていることがわかると思います。このシェルは平面でないので、施工は簡単ではありません。原寸大のモックアップを直島や豊島で何度もつくって、建設の可能性を確かめました。
設計中はやはり、自由曲線でできることをいろいろ考えているわけですが、ひとつにはこの写真にあるように、エントランスが狭くて人体的な寸法で、しかし中に入って行くと60mの大きさの空間に連続的に広がっていく、ということを考えました。自由曲線というものは、身体的な小さな空間と大きな空間を連続的に作れます。エントランスはたいへん狭いので、ひとりでしか入れないのですが、それも作品のことを考えたときに重要と思いました。ひとりで入る、たいへん大きな空間ということです。
三次曲面をどうやってつくるかは大きな課題でした。いろいろ検討した結果、土で山をつくってそれを雌型として、その上にコンクリートを打設して、コンクリートが固まった後に中に進入して土を掻き出していって、コンクリートの下に空間を生まれてくるという、合板型枠を使わない土型枠の工法を採用することになりました。
コンクリートは床も壁も普通は平らなので、通常の建設では三六判の合板を敷き詰めて型枠とします。また高い位置のコンクリート床の施工などの場合は型枠が軽量である必要もあるので、木の合板を用いるわけですが、ただ今回の場合は、コンクリート形状が平らでなく3次曲面ということで、三六判の合板で型枠をつくろうとすると、すべての三六判の版に違う曲面を与えないといけなくなるため、経済的にも高くなりますし、合板型枠は作り方としても必ずしも必然的ではないと考えました。結局ランドスケープで基礎を作るときに出てくる土を使って山をつくって、コンクリート用の型枠に使うことになりました。建築の水平的な形なので、コンクリート打設位置が低くて、足場をつくる必要がなかったということもありました。こういう構法は現代ではあまりありませんが、ただ中世の頃には大仏や、または飛行機のプロペラなどは、同じような構法で作っています。土や砂の型枠というのは、自由な形を自在につくれる工法なので、3次曲面には非常に合ったつくり方なのです。
建築の高さは、非常に低いものを目指しました。アイレベルで見ても建物の向こうの木が見えて、建築は建築というよりも丘とか斜面もしくは坂のような感じ、ランドスケープというか、あまり建築然としていないもの、自然のような人工のようなものを目指しました。大自然の中に、いきなり四角いビルのような建物然とした建物が建つと違和感があると思って、ちょっと建築的ではないような、丘とか坂のようなものを目指しています。
コンクリート打設後、中に入って土を掻き出す必要があるので、何か所かに大きな穴を開けています。
コンクリートシェルというものを採用したことから、建物は一体の構造体となって、なのでコンクリート打設もたいへん大きなシェルではありますが一度にやらないといけません。これはコンクリート打設時の写真です。建物端から端まで22時間くらいを掛けて、非常に大きなコンクリートの打設工事になりました。
建築と自然が同じカーブを共有することで、直線の建築では起きないような、自然と建築の関係性というものが作られます。自然から建築の形をつくったようにも見えますし、建築から自然を感じることができ、自然の形がわかるという意味もありますし、双方向的な関係性をつくろうとしています。
この写真は、穴を開けたところから土を掻き出していくところです。土を掘り起こして、掻き出してゆくと、中に空間ができてゆきます。
シェルには三カ所開口が空いています。土搬出のための穴であり、光を取り入れる穴でもありますが、いろいろ考えた結果、この穴をガラスで塞がずに、そのままオープンに開放したままで残すことを提案しました。そうすることで、建物が内藤さんの作品のために閉じながらも、同時に環境に対して開いていて、豊島の自然を感じるような空間をつくれるのではないかと思いました。
内藤さんの作品が水を中心とした作品ということもあって、雨が入ってくると、内藤さんの作品に合流してゆきます。
ランドスケープも一緒に設計しました。建物の横にリング状の周回路をつくりまして、一方通行になっています。チケットを買って、建物に向かわずに逆の方向に、時計回りに歩いていきます。すると、隣の土地の棚田、これは財団の人々が再生した棚田のプロジェクトで、見事な風景です。それをまず見て、次に美しい瀬戸内海を感じて、豊島の植物だけでつくったランドスケープの森の中に入って、漁師の活動や集落など、豊島の持つ様々な財産を時間をかけて経験して、徐々に内藤さんの作品に近づいていくというようなアプローチを取っています。建築だけつくって終わりというのではなく、ランドスケープとの関係のなかで、建築の経験もできていくし、作品の経験もできていくことを目指しています。
エントランスはとても小さく、ここからひとりずつ中に入ります。これは、ひとりでしか入れない入り口です。内藤さんの作品を考えた時、こういったひとりで入ってひとりで出る入り口というのがいい、と考えました。穴が大きいので、周辺の風や音が入ってきて、また、大量の外気が、外から入ってくることが感じられます。都市の中の、都会の美術館とは違うということを言おうとしています。

軽井沢千住博美術館(2011 西沢立衛建築設計事務所)

長野県の避暑地軽井沢につくった美術館です。千住博さんの作品のコレクションをお持ちの財団の方々のための建物です。千住さんの作品を展示する美術館でもあり、また財団の人たちや地元の人たちが使える研修センターでもある、という計画です。
千住さんの作品は絵画ですから、暗い室内で展示されることが多いのですが、千住さんとしては、今回はそういうものではなくて軽井沢という自然の美しいところで、自然を感じながら作品経験の場をつくりたいということで、壁のない美術館をつくれないかというところから始めました。
地形は前面道路と後ろ側の道路とで約4メートルの傾斜がある土地でした。そのような場合、ひな壇造成つまり分譲住宅地のように段々に土地を造成して、その上に建築をつくるのが一般的なアプローチですが、そうするとなにか自然破壊のイメージが非常に強いように感じまして、最終的には既存の斜面を壊すことなくそのまま利用して、建築の床にすることを考えました。なので室内の床はランドスケープのように起伏した傾斜になりました。その上に床の斜面とはちがった勾配でカーブした屋根を掛けました。床も屋根も別々にカーブしているので、室内に大小いろいろな天井高が生まれます。千住さんの作品は各々高さがちがうので、各作品の高さにあわせて屋根と床形状を決めていきました。
もうひとつ僕らが提案したのは、各作品を大きな壁面に連続展示するのでなくて、一枚一枚別々に、独立展示とすることです。床の傾斜にあわせて各作品は分散していきます。1枚の壁に1作品がワンルームの中に分散していることで、ひとつひとつの独自の作品世界というものを確保しながら、空間全体としては連続性を感じられる、というものを目指しました。
作品と作品との間に庭があります。全体がワンルームなので、作品の連続性を空間的には感じますが、ひとつひとつ作品が独立した彫刻作品のように展示されていて、巡回路を一応つくってはいますが、基本的にはなくて、各々が自由に巡回しているような感じです。
もうひとつ提案したのは、立って見るのではなくて、自分の家でくつろぐように、座って作品を感じるということです。閉じた部屋をつくって立って見ると、ある種の緊迫感というか、作品への対決というものが起きるのですが、ここではもう少し等身大で気楽に座って作品を見たり自然を見たり、作品との会話を身近にできるようなに、家具を一緒につくりました。
軒が出てスクリーンを付けて日除けをしています。また外に緑を配して光の調整をしていますが、透明性は感じられます。いろいろな形の中庭が、作品と作品の間、回遊する途中に出てきます。

サーペンタイン・ギャラリー・パビリオン2009(2009 SANAA)

サーペンタイン・ギャラリーはロンドンのハイドバークの中に位置する庭園付きの現代美術館です。彼らは毎年この庭を使って、建築家を招いて夏の間だけ東屋的な公共空間をつくって、市民に提供します。夏が終わるとそれをコレクターに売ってお金を得て翌年また東屋を建てるというイベントを毎年行っています。2年くらい前に我々がそのプロジェクトに参加しました。プログラムとしては、公園でくつろぐ人々の憩いの場ということで、東屋ですからそれほど難しい機能はありませんでした。カフェ、ホール、休憩所、というものです。どうやって開かれた公共空間をつくるかというときに、僕が着目したのはハイドパークの美しい緑と、ロンドンの雨の多さです。雨除けの屋根を直線ではなくて木をよけるようにして、自由な形で作り、柱で支えて浮かばせるというもので、壁は立てずに屋根だけで建築をつくるというものです。
天井高も平面も、自由に寸法が変わります。6メートルの天井高が、どんどん下がっていってサーペンタイン・ギャラリーの窓の高さに合います。大通りとジョギングコースに少し屋根が出ているのですが、激しい交通量に合わせて、6メートルの高さから徐々に下がっていきます。屋根はいちばん低い所で60センチくらいで、そこは子どもしか入れない場所になります。屋根の高さや幅を自由に変えていくことで、多様性やダイナミックな変化を作り出そうとしています。家具のような建築のようなランドスケープのようないろいろなスケールにまたがる感じをつくろうとしています。
建物は基本的に屋根だけで、壁がないのですが、雨が降ると水が落ちてきて滝ができて、それが壁のようになります。水しぶきがすごいのですが、きれいで、雨宿りの人がここを貫いて中に入ってくるのです。
屋根版はアルミを磨いてつくって、反射する感じにしています。屋根の下でくつろいでいるときも、目の前だけではなくて上に広がっていくような、緑に包まれたような空間をつくっています。また、屋根を傾けているので、ハイドパークの外の緑が室内に入ってきます。柱を細かく立てて、梁のない薄い屋根を支えています。場所によっては風除け板をつくって、風除けの空間をつくっています。
レクチャーホールは、人々が集まるとそれが群衆の活気となって天井に反射して公園の方にまでイベントの活気を伝えていきます。
屋根が傾斜していますので、屋根にも緑や空が映ります。これは遠くから見た写真です。光ったものが空中に漂って、公園の遠くの方にいる人たちにも、サーペンタインギャラリーの活気というものを伝えていこうとしています。
建物という人工物が建つことで環境の魅力が減るのではなく、建つことで環境の魅力が別の次元にいくようなものを目指しています。それはどのプロジェクトでも同様です。

森山邸(2002-2005 西沢立衛建築設計事務所)

集合住宅のようでもあり、森山さんという人のオーナーハウスでもあるような建物です。敷地は、東京下町の木密地域と呼ばれている住宅地です。要望としては、森山さんの家、親友の幼なじみのご家族の家、賃貸集合住宅、の全部で3つのプログラムを1つの敷地に建てる、という計画です。敷地が大きいので、その3つのプログラムを合体すると非常に大きなボリュームになってしまい、街に対してたいへん威圧的で閉鎖的な感じになるような気がしましたので、ここで考えたのは、全体を小さく分解して、バラバラに建てるというものです。周りの木造住宅を見ると、庭があって洗濯物が干してあって、開けっぴろげな下町風の生活がまだ残っているというところです。ここであまり閉鎖的な巨大ボリュームをつくるというのはどうかと思ったのです。このように、分解してばらばらにして、賃貸住宅の部分も独立住戸のようになっています。そうすると、各建物の隙間が路地や中庭のようになります。全住戸が地上に置かれ、専用庭を持って、中と外の両方を使う開放的な生活が生まれます。
住居同士は界壁で仕切られるのではなく、庭で仕切られるという関係です。開放的で風通しがよく、ある意味で周りの木密住宅地域が持っているような住まいに連続するような感じになっていきました。集合住宅だと、界壁で仕切るということで、なるべくお隣同士が関係しないことが快適というのでしょうか、なるべく関係をもたないような共同体のあり方を考えるようになるのですが、森山邸では逆に、どうやると関係を持っても良いかということを考えるような構成です。
大小のいろいろなかたちの住居があった方が面白いと考えるようになりました。構造体を共有しませんので、形もまわりに揃える必要がなく、大小さまざまないろいろな形をつくって、どの住居も必ず庭と室内を持ちます。この写真は室内で、外に庭があり、その庭の向こうに別の人の庭があります。庭を介して関係を持つようになっています。森山さん宅は4つのボリュームを持って、庭を囲んでいます。別の住居は、家は最小限だけれど庭が大きいとか、庭に囲まれた家とか、庭と家の関係も1種類ではなく、いろいろな関係をつくろうとしています。

House A(2007 西沢立衛建築設計事務所)

都会で庭をつくることが面白いと思うようになって、これはHouse Aという専用住宅ですが、周辺環境は森山邸と同じように、木密地域です。先ほどの森山邸では、庭と家を明快に分離した感じでしたが、ここでは、もう少し融合的にできないかと思いました。木密地域の東京の下町的、ある意味でアジア的な環境の柔らかさを感じながら住める開放的な住居を目指しました。アイデアとしては、5部屋を各々ちがった寸法にしてつなげていって、ギザギザの連続空間をつくっていくというものです。そうするとこのようにあちこちにズレができて、南面以外にも、中央や一番北の奥でもズレから光が入ってくることになり、明るい住宅となりました。
違う大きさの部屋がくっついて出来たズレ部分から、光や風が入ってきます。ワンルームなんですが、仕切られてもいるような、連続もしているような空間です。
屋根が開くことを提案しました。屋根が開くと室内が中庭的な空間になります。豊島美術館もそうでしたが、閉じながら開くというのでしょうか、そういう状態を目指しています。なにか中だか外だかわからない空間になっています。
あちこちにズレができて、この写真のように、高いところとか低いところとか、いろいろなところから風景が入ってきて、風景に囲まれているような、風景のただ中にいるような、両方を感じるようになります。
5つの部屋には各々、お風呂やキッチンなどの機能がありますが、人間が滞在するという意味ではどこも居間のようなものだと考ええて、この写真は浴室ですが、ユニットバスのようなものではなく、リビングルームのような感じ、滞在したくなるような空間をどの部屋でも目指しています。
美術館であっても、住宅であっても、どんな機能であっても、使うということのおもしろさ、素晴らしさに人々が向かえられるような空間をつくりたいと思っています。
屋根や壁を開けると風や街の喧噪、周辺の日本の民家の風景が入ってきます。閉鎖的なワンルームマンションのようなビルの中にいると、外の天気もわかりませんし、自分が東京に住んでいるのかどうかもわからなくなってしまいますが、ここでは自分がどういう環境に属しているのかを何となく感じながらも快適に住める家とはどういうものかを考えました。

ガーデン・アンド・ハウス(2011 西沢立衛建築設計事務所)

House Aの、開かれた空間がつながっていくというアイデアが発展して、庭のような家のようなということをもう少し考えてみたプロジェクトが、このガーデン・アンド・ハウスです。これも都心ですが、周りは住居地域ではなくて、40メートルくらいのマンションやオフィスが隣に並んでいる、高容積の街並みの中に、すごく大きな建物に挟まれて、その隙間に谷底みたいな小さな土地があります。4メートル×7メートルくらいの小ささです。この土地をクライアントが購入して、建築することになりました。
女性のクライアントですが、彼女が仕事仲間と二人で住んで、かつここで仕事もするという、住居兼オフィス兼寮といった感じのプログラムです。
土地の小ささと、周りの立て込んだ高密度が、計画を難しくしたプロジェクトでした。敷地の幅が4メートルしかなく、左右50センチずつセットバックして、さらに50センチの壁を建てると、部屋の中が1?2メートルとなってしまいます。それはあまりうまくないということで、いろいろ考えた結果、壁がない、床が反復するだけの空間をイメージするようになりました。
このように、床が何枚も反復されて積層していきます。各床には必ず庭と部屋があって、それが積まれていく、ただ部屋と庭の関係は各階ちがうのです。そういう床が積まれていって、床に穴が開いていて、庭や空間が立体的につながっていって、全体的に庭でもあり家でもあるような感じになります。
どこで仕事してもよいし、どこでくつろいでもよい、というものです。どのように使ってもよい住宅、いや住宅ですらないかもしれません。彼女らの非常に現代的なライフスタイルといいますか、友達と一緒に働き一緒に住むという彼女らの現代的なライフスタイルを考えたときに、伝統的住宅っぽい建築、もしくはオフィスのような形の建築というのは合わないような気がして、むしろなにか曖昧な形を曖昧な感じで考えられないかと思っているうちに、このように形がなく、床だけが積まれて行くようなものになりました。
各床には必ず庭と床があって、その関係が変わっていきますが、共通しているのは、どの庭もどの部屋も狭い、しかし狭いなりに、快適性を考えようとしています。
設計期間の初期は鉄骨造で、階段コア、動線コア、構造コアを一致したものとして考えましたが、そうすると基準階平面のようにどのフロアも同じようになってしまって、多様性という意味で限界を感じてしまい、最終的には構造の位置と階段の位置を別にして、各階の違いをつくろうと思うようになりました。構造はけっきょく、三本の大きなコンクリート柱をランダムに建てて、それが各床を支えている、というものです。
各階は暗さがだんだん変わってきます。上に上がるに従って明るくなって行きますので、庭のコンセプトも、上にあがっていくと変わっていきます。庭も部屋も、いろいろなプログラムを持っていますが、洗濯場があり、打合せ室があり、上に上がるに従って機能も変わるし、植物も変わって行きます。これはお風呂の写真で、お風呂は離れになっていて、庭を通っていきます。階段が各階をつなぎ、狭いながらもいろんな空間をつくろうとしています。
下の階は暗いのですが、それなりに緑で生き生きとした空間をつくりました。階ごとに明るさに応じてちがった空間になっていくような感じです。

北鎌倉の住宅(計画中 西沢立衛建築設計事務所)

今計画している北鎌倉の住宅です。北鎌倉駅は長いプラットフォームなのですが、あまりに長くて端の方は駅前とはいえないくらいですが、そのホームの端っこに面した敷地があって、ご夫婦でここで住まわれながら、奥さんがアーティストで、アトリエや教室も持つというものです。
鎌倉は歴史地区で景観の条例も厳しくて、セットバックをして緑地提供をしなければなりません。大きな敷地ではないのですが、そこからさらにセットバックすると、建物としては大変小さいものになります。斜線もあって厳しい条件ですが、そこに床面積としては最大66平方メートルが建設限度です。66m2に大人ふたりが住んで、かつその半分がアトリエになるということで、それは厳しい高密度な条件と感じました。
最初はそう思っていましたが、途中からはその高密度を建築的面白さにつなげていければと思うようになって、考えたのは、この模型写真です。各床は四本足で支えられて、ちょうどテーブルのような形をしていますが、それらが積まれてゆくときに、垂直でなくずらして積んでいくというものです。床と4本柱をセットしたテーブル状のストラクチャーに一つの機能があって、そのストラクチャーがずれて集合するという形です。そうするといろいろないいことがあって、各テーブルの上には必ず庭と部屋がセットでできて、どの部屋からも外に出られますし、中に入ると、スキップフロアのようなワンルームになっている、というものです。
1階はアトリエで、床がずれているので、柱がばらばらと落ちています。階段で上っていくと、床が螺旋状に展開していき、パブリックな1階から上に上がっていくにしたがって、プライベートな感じになっていき、最後はベッドルームになります。どの室内もテラスを持って、直接外に出る事ができます。
今は実施設計に入り金額調整をしているところです。

トレド美術館ガラスパビリオン(2006 SANAA)

アメリカのオハイオ州にトレドという小さなまちがあって、そこにつくった美術館の別館です。トレドはガラス建材の工場で有名なまちで、トレド美術館というこの写真の左のほうの、この既存の美術館は、ガラス工芸のコレクションで有名な美術館です。向いに森と駐車場がありまして、この駐車場を敷地にして、ガラス工芸館というコレクションだけを展示し、また背後の地域の住民が交流施設としても使える文化施設をつくることになりました。
緑が非常に美しいので、木を切り倒さずに、駐車場のところに建物を建てて、周辺に緑を拡大して倍の大きさにして、ぐるっと緑で囲むという計画にしました。ガラス工場のまちですので、ガラスの建材を安く提供してもらえることと、ガラスコレクションということから、ほとんどがガラスでつくるガラスのパビリオンというアイデアになりました。建物は地下に機械室と収蔵庫を置いて、地上はすべてパブリックとして、平屋のなるべく低い建物を考えました。そうすることで、バリアフリーで誰でも入ってこられますし、高さを低くすることで木々の広がりを邪魔しないような建物にしたかったのです。
アイディアとしては、カーブしたガラス壁でぐるっと囲まれた、風船もしくはシャボン玉的な形のガラスの部屋みたいなものがあって、そういういろんな形のカーブした風船のような部屋が押し合いへし合い並んでいくというものです。そうするとホワイエにガラス壁があって、隣の展示室にも別のガラス壁があって、ガラス壁がダブルになって、その間が壁裏空間、バッファーゾーンです。これは空調的なバッファーゾーンにもなっています。展示室、ホワイエ、ガラス工房はどれも異な室内温度湿度条件を求められているので、このダブルガラス壁のバッファーゾーンがいわば断熱空間として機能して、異なる環境条件の隣同士を分けているのです。
最終的にできあがった平面図です。ホワイエが右に曲がっていってガラス工房があり、逆側に展示室、その先に多目的ホールがあります。そしてさらにその先に緑があって、町が見えて各室内の関係もそうですが、外に対してもつながっていくような空間です。
完成した写真です。木がとても高く、屋根が低いので、建物と木々が調和します。
ガラスのファサードの詳細です。透明で、中を感じることができます。公園を歩いている人々からも、美術館の人々が窯を使ってガラス工芸をつくっていく活動を建物に入らなくても感じることができます。
これはガラス工房です。ここではショーをして、つくる過程を見せるのですが、大きなショーの場合はガラス工房だけでなく、隣のガラス越しのエントランスのホワイエが追加席になるというような、いろんな部屋にまたがる活動ができるようになっています。
展示室です。ここはガラス工芸を展示するところです。壷やガラス細工などをアイランド状に展示したり、もしくはガラス壁裏空間がショーケースのようになって、そこで展示することもできます。
緑に囲まれた高さの低いガラスパビリオンは、外から見ても中から見ても緑との連続性を感じられるような建物です。周りの建物は煉瓦造なので、壁が主体の建物ですが、このガラスパビリオンはそれらとは少しちがって、水平的で連続感のあるものです。美術館側から、住居側からといろんなアプローチができるような、開放感のある建物です。

ニューミュージアム・オブ・コンテンポラリー・アート(2007 SANAA)

これも同じようにアメリカでつくった美術館です。場所も地方都市ではなくて、ニューヨークのマンハッタンで、美術館の中味は、現代美術館です。
ニューミュージアムという名前の美術館がマンハッタンにあります。ホイットニー美術館を独立したキュレーターが始めた現代美術館として、とても有名です。
MoMAやホイットニー美術館がアメリカの巨匠の作品を扱う美術館であるのに対して、このニューミュージアムはむしろ、まちから出てくるような、これから評価されるてゆくような作家や作品も扱う、いわば最先端の美術館です。
ニューミュージアムの人たちは、ブロードウェイのある通りで建物を借りて活動していましたが、このたび新しい土地を取得してそこに自前の建物を自分たちのために建てようと、このプロジェクトが始まりました。
つくる場所はバワリー通りというところです。この通りはニューヨークでは怖いところというイメージをもたれていて、「バワリー25時」という映画がありましたが、ニューヨークの人も観光客もなかなか行かない通りでした。シェルターがあったところでもあります。
そんな通りに現代美術の最先端の人たちが引っ越すということは、非常にインパクトのあるニュースとして、当時地元ではずいぶん話題になりました。僕もそういう事情をよく知らなかったのですが、最初にこの土地を見に行ったとき、ブロードウェイのファッショナブルな雰囲気とは全くちがって、通りの人々が交通を止めて路上でたき火をするような非常に激しいところで、大変驚いた記憶があります。
しかしニューミュージアムの人たちの活動と、工場が並んだり、シェルターがあったりするバワリーのイメージとは、ある意味で連続しうると思い、それをもとに考え始めました。
これは模型です。周りの中層建築の大きさにあわせて、大きなボリュームを分節しています。展示室に各々違う寸法を与えて、それらを積みあげていくと、このようにでこぼこの形になるわけです。現代美術の展示に重要な条件としてトップライト採光があります。各階をちがった寸法にしてずらして積んでいくことで、中間階にトップライトを持て、また場合に寄ってはテラスにも使えるます。デコボコの形状によって、ニューヨークの複雑なゾーニング規制をかわしながら形をつくれるというメリットもあります。
建物は超高層ビルのような大きさになりますが、中は展示室なので、外壁に窓がないわけです。不透明な外装は威圧感があるので、その不透明壁のさらに外にアルミのメッシュを貼って、ダブルレイヤーの外装としました。それによって、ガラスはないですがなんとなく透明な感じ、奥行き感というものが生まれます。
1階はガラス張りでオープンで、通りがそのまま中に入ってくるような感じになっています。ここには公共的なプログラムが並んでいて、カフェがあってその奥に無料ギャラリーがあって、右側はライブラリーとミュージアムショップ。階段を下に降りていくとレクチャーホールがあります。
コアシステムになっていて、巨大エレベーターにお客さんや美術館の人や美術作品などが一緒くたになって上下するという、非常にニューヨークらしい動線計画になりました。
2階の展示室の写真です。3階の展示室がずれて置かれているのがわかると思います。ずれた隙き間にトップライトができて、その直下の壁に個性が出てきます。
ニューヨークのギャラリーの、ホワイトキューブではないような倉庫的な展示室のあり方をここでもイメージして、仕上げをしないで、構造体がそのまま出るような室内と、蛍光灯の照明を考えました。
各階ちがった位置にトップライトがついてます。前後だったり、L字形にだったり、階によってさまざまです。トップライトの位置、天井高さ、平面の大きさを変えることで、いろいろな展示室をつくろうとしています。
エレベーターの上下運動だけではなくて、階段でも上下しようとして、これは完全な形ではできなかったのですが、なるべく回遊性をもたせるために、階段で上り下りできる動線を作りました。
これは窓のある部屋です。外はそのままテラスで、出られるようになっています。この部屋はテラスと窓があるので、展示室でもあるのですが、ワークショップ、ディナーショーなどいろいろなことに使われる、多目的な空間になりました。
高層階でも人々が外に出られるというような公共空間を持つことは、オフィスビルではできない重要なことではないかと思っています。高い階でも人々が中と外を楽しめるような、そういう高層の建物です。

ルーヴル美術館ランス別館(2012開館予定 SANAA)

ルーヴル美術館別館のプロジェクトです。ルーヴル美術館といってもパリに建つのではなくて、パリの北駅から電車で1時間ほどいったところにランスという地方都市があるのですが、そのまちの中腹に小高い丘があって、そこが敷地です。ランスの街は、もともとは炭鉱で栄えたまちでしたが、1980年代のエネルギー革命で閉山し、それによって産業を失って失業者であふれ、それがランスの大きな都市問題のひとつとなりました。パリにすべてが集中する中央集権国家フランスがもつ地方都市の問題というものを、どういうふうに解決してまちを活性していくかという、フランス全体の問題がありますが、ランスもその大きな例のひとつで、フランス政府とルーヴル美術館はそれに対処しようということで、ルーヴル美術館のコレクションを貸し出す地方美術館をここに建てることになりました。
したがって、これは美術館の設計ではあるのですが、同時に、地方再生・地域再生の問題を背負ったプロジェクトとも言えます。
場所は住宅地の中ですが、不思議な多角形の丘があって、そこが敷地です。この写真です。ここはもともと炭坑として使われていて、大きな採掘場があったり、トロッコの線路があったりというところです。今は閉山してしまったので、そういう記憶だけが残る場所で、人々が散歩に使ったりする丘です。地形に起伏があり、炭坑の時代の歴史がいくつか残る場所で、そういう歴史遺産と自然を残しながらどうやって建築をつくるかということが、大きな建築の課題でした。
ルーヴル美術館ということで、プログラムが巨大で4万平方メートルくらいの大きなものでした。普通につくると巨大建築になるわけですが、四角くひとつのボリュームで作ると多角形のこの敷地に合わないので、四万平方メートルの大きさをいくつかに分割して小さいスケールにして、それらをつなげていくというやり方にしました。
ひとつひとつのボリュームは地形に沿ってカーブしていて、また、地形に沿って並べるので、各々は平行ではなく、ずれながらつながっていく形です。地形はゆるやかに傾斜しています。平らではないのです。各ボリュームも地形なりの高さに置かれますので、建物は全体として水平ではなく、ランドスケープに沿って徐々に下がって行くという形です。
平面としては真ん中にエントランスホールがあって、左右に企画展示室と常設展示室、その奥にガラスギャラリーなどが平屋で並んでいきます。
外観の仕上げは、公共部分はガラスで、展示室はアルミの外装で周辺の風景を映し出すというものです。とても長い建物ですが、地形に沿っているため、徐々に下がっていきます。全体として7メートル以上の傾斜を持った建物で、全部水平にすると大きいので非常に人工的な形になるのですが、この建物は地形にそって柔らかく形を変えて行きます。万里の長城のように、なんとなく、地形によっている建物になっています。
エントランス部分の左から常設展に入り、逆から企画展に入るというものです。
ルーヴル美術館の人に言われたことでひとつ印象的だったのが、作品が紀元前4000年とい時代から始まって19世紀まで至るという、6千年にわたる大変長大なものですが、現代美術はありません。そこで、これらの作品が過去の遺物のように展示されたくない、ホコリをかぶったような感じでもう終わったこととして感じられないような展示はないか、現代につながった展示ができないかと言われました。それは確かにそうだなと思いました。
僕らが考えたのは、まう一つは、現代美術館ではありませんが天窓採光にしたことです。現代の自然光の中で、作品を鑑賞するというものです。ルーバーもついていて、空間を暗転することもできますが、明るい光の中で作品鑑賞ができます。
もうひとつ考えたのが、細長いワンルーム空間です。120メートルの非常に長い空間をつくって、そのワンルームの中に、紀元前4000年の作品から19世紀までの全作品を同時に展示します。展示は紀元前から始まって、徐々に時間を下っていって最後に奥の方に行くと19世紀にたどりつきます。つまり、部屋を歩いて行くに従って、時代がすすんで行く、ルーブルの作品群の経験を通して、ヨーロッパの時間の流れを感じるという配置です。
時間軸に直行するのは地域軸です。つまりまっすぐ歩くと時間の変化が感じられ、左右に動くと地域の変化が感じられます。これだけ長い歴史になると、国も一定ではなくて、出たり消えたりします。
作品は絵画も彫刻もぜんぶ、このように独立展示で、最初作品群の森に分け入るように入ってきます。すると徐々に、時間差や地域差を感じます。ルーヴル美術館の作品を通して、ヨーロッパの歴史を感じるのです。
このように、最初は紀元前なので、絵画というものがなく、ほとんど彫刻です。しかし途中で絵画が出てくると、突然大きな絵が出てきて、徐々に絵のサイズが小さくなってきますが、そういう技術の変化も感じるようになっています。
ルーヴル美術館の人たちはこの美術館をタイムギャラリーと呼んでいますが、延々と歩いてきて最後に19世紀の展示を通って、ガラスギャラリーに到達すると、外の風景に出会います。ランスの閉山したあとの風景、つまり今我々が持っている現代の風景に着くということで、現代につなげようとした展示をしようとしています。
外観はガラスとアルミですが、アルミといってもサーペンタイン・ギャラリーほど鏡面ではなくて、もう少し鈍い感じの、半分映って半分映らないような、カーブしたアルミの外装です。外観では緑を映して、室内ではルーヴル美術館の作品を映す、という形です。
今はまだ建設中です。これは工事中の写真です。雁行して、徐々に下がっていきます。水平にあるのとはちがって、地形に沿って下がって行くので、なんとなく柔らかさが出ているように感じています。

EPFLロレックス・ラーニングセンター(2010 SANAA)

スイスのローザンヌにあるEPFL(スイス連邦工科大学ローザンヌ校)の学生会館の計画です。キャンパスはローザンヌ郊外で、向こうにアルプスとレマン湖が見える大変素晴らしい場所です。もともと駐車場だったところを敷地として、学生会館をつくるというものです。学生会館とは、学生や市民、教職員が使える公共プログラムが集まった複合建築です。図書館やレストラン、学生オフィス、多目的ホール、カフェ、展示場などの公共的なプログラムが集合した複合的な公共施設だといえます。
キャンパスは学生運動のあおりを受けて、市外に脱出して新しいキャンパスをつくったもので、部分がひたすら反復していくような70年代的なシステム建築です。それに対してこの学生会館をつくるにあたっては、センターとなるような、みんなが中心を感じられるようなものがいいということが、コンペの要項にありました。
僕たちはいろいろなことを提案しましたが、ひとつ大きな事は、非常に大きなワンルーム空間、図書館や展示場を部屋でバラバラに取るのではなくて、全部集合して巨大なワンルームにするというものです。大変巨大で長さが180メートルで奥行きが110メートルくらいの大きなワンルームに、いろんな機能や学科の人が同居するというものです。
ただ、完全なワンルームではなくて、いろいろな庭を入れて微妙に区切られて微妙につながっていきます。図書館や展示場や各学科を別の建物にすると、お互いの交流がなくなってしまいますが、つなげたワンルームにすると、興味のある人はどこまでも歩いて行けるという、交流をつくり出すような建物という意味でも、半分ワンルームで半分分かれているのが良いのではと思い、提案しました。
平屋ですが、180メートルの平屋は非常に巨大なので、建物自体がカーブして部分的に空中にあがっています。そうすると人々が外を歩いていても建物にぶつかることなく、そのまま透過してキャンパスに行けるという、巨大な建築ながら透明というのでしょうか、通り抜けて行けるような感じの建物です。
そのような透明性を作り出す建築のアンデュレーションは、室内にはいろいろな谷や丘や坂のようなランドスケープ的な空間をつくります。
これは平面の動線大アフラムです。建物がジャンプしていますので、真ん中にエントランスを持つことができて、人々はまず建築の下をくぐって真ん中にアプローチして、そこから建物内に入って、各部屋に放射状に分散していくという、比較的シンプルな動線空間を考えました。
建築が立体的にゆがむことで、巨大建築といっても室内は意外に開放感があります。建物の奥のほうでも外にそのままつながる感じがあります。この写真にあるように、中庭があって、中庭の先に建物の一部が見え、さらにその背後のキャンパスやアルプスも見えます。大きいけれど立体的にゆがむことで、あちこちが開かれて外との関係がつくられます。
屋根と床が平行関係を維持しながらカーブしていることで、いろいろなランドスケープが生まれます。
各部屋は建物の中で全部一緒に同居しているのですが、斜面や庭で仕切られています。原則としては壁で仕切るのではなくて、地理的な形状、丘とか谷というランドスケープによって場所を分けています。まちが形成されていくと、下町ができて山の手ができていくのと同様に、自然に地理的な関係が距離感や地域性をつくるように建築がつくれないかと考えています。
丘の上は人々があまり通り過ぎないような静かな空間になるので、そこに図書館を配置しました。その図書館の下をくぐってエントランスに向かって行きますが、たまに建築が下に降りてくるところは、裏口をつくることができて、メインエントランスに行かなくても出入りすることができます。
建築が降りてくる斜面を利用して、階段教室をつくっています。着地したところに中庭をつくって、外に人が出られるようになっていて、休み時間におしゃべりができるように、外の空間にもつながっています。
これは、エントランス空間から斜面を上っていくところです。スイスはバリアフリーに厳しいところです。いろいろな交通動線を計画しています。坂道とか階段、エレベーター、これは商品を運ぶカートのためのいろは坂で、これは、電車です。スイスの山岳都市のフニクラのようなもので、すべてのレベルにすべての人が、この電車に乗って行ことができます。いろんな交通があって、スイスのローザンヌのまち自体も、このような感じにできていますが、同じようにつくろうとしています。
丘の上から中庭の先に建物の連続が見えますが、そのさらに先にキャンパスが見えます。閉鎖感のない大きな空間のワンルームをつくりました。
図書館は静かな空間で、屋根がドーム状になっています。それが音響装置になっていて、静かさをつくっています。図書館からまっすぐ行くとレストランがあり、建物のさらに向こうに湖とアルプスが見えます。
これは、建物の中で一番湖に近くかつ一番高い丘をで、ここには先生やゲストのためのレストランをつくっています。レストランから電車もしくは徒歩で下に下っていくと、谷があって、そこに学生カフェがあります。そこは一番人々が通り過ぎるわいわいしたところです。この学生カフェは地面の上なので、そのまま中庭に出られて、屋外席にまで行ける賑わいの空間になっています。カフェを通り抜けて斜面をさらに通って丘を越えると、階段教室のような多目的ホールに来ます。ここは斜面に囲まれていて、この尾根によって、他の空間からは分かれています。
丘や尾根、谷という地形によってあちこちが柔らかく分けられていて、ワンルームではあるけれど隣とは分かれているようなつながっているような空間をつくろうとしました。
建築が最大にジャンプしているところは、キャンパスのメインストリート側です。メインストリートの幅がそのままキャンパスに入っていくような感じです。通りという大きなスケールがそのまま建物に入っていくような、ランドスケープ的というか、アーバンプランニングにも合うようなスケールも考えて形をつくっています。
既存のキャンパスが、1階が守衛所と倉庫でできていて、学生は2階より上で空中の人工デッキを歩くという、学生が地面に出にくいキャンパスという、学生紛争の後の、非常に70年代的な構成のキャンパスでした。それに対して僕らは、基壇がある建築ではなく、ランドスケープ的で地面的な建築を提案しました。外から中、1階と2階がすべて連続していくような、地面が建築化していくようなものが、新しい時代の建築なのではないかと思いました。
家具だけ考える、建築だけ考えるというのではなくて、家具と建築、ランドスケープ、街、という関係性の中で、建築を考えたいと思っています。全体としてはそれらの動的な関係がそのまま建築になったようなダイナミズムをつくりたいと思っています。住居であるのか、美術館であるのかという違いは各プロジェクトにあり、いろいろなプロジェクトごとに違うものをつくろうとしてはいますが、共通点としては、環境の中での関係性に形を与えるというか、連続性というものを作るということがあると思います。また、人間が取り組みたいと思う建築、使ってみたいと思うような、使うイマジネーションを喚起する建築を作りたいと考えています。

以上です、ありがとうございました。

質疑応答

質問者

大変面白いレクチャーをありがとうございました。
西沢さんの建築は、最近は写真だとわかりづらくなっているような気がしますが、伝統的にはかっこいいアングルを決めて建築を撮るというのが、プレゼンテーションとしてあると思います。空間体験を重視していくと、写真だとよくわからなくて、むしろムービーなどでないとその良さが伝わらないのではないかと思いますが、プレゼンテーションの方法が難しくなっているような気がします。中国などでは1枚かっこいい絵がある方が受けますから、なかなかSANAAが出てこないのはそういうところもあるのかも知れません。プレゼンテーションについてどう思っていらっしゃいますか?

西沢

プレゼンテーションに関しては、ムービーにしてもやはり実際に感じる経験とちがうのですね。ですから、建築はやはり見に行って経験すると違うものを感じると思います。
ただ、写真であってもムービーであっても何か凝縮したメッセージは伝えられると思います。もちろん経験という意味では実際とはちがいますが、原則というか、概念的なものやコンセプト、ある種のメッセージ、象徴的なものなどは、断片的にでも伝わるのではないかと思っています。
なかなかわかりづらいというのは、まさにおっしゃる通りだと思います。ヨーロッパの建築はたいへん素晴らしいものです。バロック以降の、造形的なものというのか、建築に形があるということはとてもすごいことだと思います。ただ、それは素晴らしいとは思いますが、僕らのやり方ではなくて、僕らはやはり造形物を作るというよりは、ありうべき関係性みたいな動的なものが、建築になっていく、形というのは、たまたまというと語弊がありますが、目標ではないのです。彫刻的でないというのか、動きということですね。日本の建築はそもそも木造建築や寺社仏閣からして、関係性が形になっていると思います。中国の文化・文明はたいへん構築的で論理的で、ある意味で名詞的といえます。それに対して我々の建築というものは、動詞的というのでしょうか、もう少し動きというものに関わっていると思います。
動詞というのは、ある意味で言葉の不可能性とい面を象徴的に示しているように思います。形にならないものに形を与えるという面があります。動詞の「食べる」とか「走る」とか「動く」というのは運動そのものですから、形がないのです。しかしそれを言葉にするというのは、一定のまとまりにしているということで、そういう形のないものに形を与えるという不可能ごとを言葉はやるわけですが、僕は日本語の特徴というのは、中国語が持っている論理学的で名詞的な強さ、素晴らしさ、構築的な文化の魅力とはちょっとちがう方針で、動くという形にならないものがなぜか形になるという、そういう柔らかさ、抽象化というものがあると思います。簡単にいえば、動詞的な経験、動詞的な建築を目指していると言えると思います。それは中国やヨーロッパの偉大な都市と建築の経験から、徐々に感じるようになって来たことです。

西沢 立衛(にしざわ りゅうえ)

  • Photo by Takashi Okamoto

1966年神奈川県に生まれる。1990年に横浜国立大学大学院修士課程修了後、妹島和世建築設計事務所入所。1995年に妹島和世氏とSANNA設立。1997年西沢立衛建築設計事務所設立。2010年より横浜国立大学大学院Y-GSA教授、現在に至る。2012年「豊島美術館」で三度目の日本建築学会賞受賞の他、1999年第15回吉岡賞、2010年プリツカー賞、2012年第25回村野藤吾賞など、数々の賞を受賞。主な作品として1998年「ウィークエンドハウス」、2005年「森山邸」、2008年「十和田市現代美術館」、2011年「軽井沢千住博美術館」など。